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枕草子

第1~75段
春はあけぼの(第1段)三月三日は(第4段)思はむ子を(第7段)清涼殿の丑寅の隅の(第23段)すさまじきもの(第25段)憎きもの(第28段)心ときめきするもの(第29段)過ぎにしかた恋しきもの(第30段)虫は(第43段)あかつきに帰らむ人は(第63段)ありがたきもの(第75段)

第76~150段
頭の中将の(第82段)里にまかでたるに(第84段)なまめかしきもの(第89段)無名と言ふ琵琶の御琴を(第93段)二月つごもりごろに(第106段)無徳なるもの(第125段)はしたなきもの(第127段)関白殿、黒戸より(第129段)殿などのおはしまさでのち(第143段)碁をやむごとなき人の打つとて(第146段)胸つぶるるもの(第150段)

第151~230段
うつくしきもの(第151段)人ばへするもの(第152段)苦しげなるもの(第157段)うらやましげなるもの(第158段)とくゆかしきもの(第159段)心もとなきもの(第160段)宮に初めて参りたるころ(第184段)牛車(第223段)八月つごもり(第227段)九月二十日あまりのほど(第228段)

第231~319段
よくたきしめたる薫物の(第231段)月のいと明きに(第232段)御乳母の大輔の命婦(第240段)日は(第252段)ほか文言葉なめき人こそ(第262段)世の中に、なほいと心憂きものは(第267段)男こそ、なほありがたく(第268段)人の上言ふを腹立つ人こそ(第270段)うれしきもの(第276段)御前にて人々とも(第277段)香炉峰の雪(第299段)よろしき男を下衆女などのほめて(第311段)大納言殿参り給ひて(第313段)跋文(第319段)

 枕草子

春はあけぼの~第一段

 春は、曙(あけぼの)。やうやう白くなりゆく、山際(やまぎは)少し明あかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

 夏は、夜。月のころはさらなり。闇(やみ)もなほ、蛍(ほたる)の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。雨など降るも、をかし。

 秋は、夕暮。夕日のさして、山の端(は)いと近うなりたるに、烏(からす)の、寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへ、あはれなり。まいて、雁(かり)などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。

 冬は、早朝(つとめて)。雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもて行けば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし。

【現代語訳】
 春は曙がいい。次第に白んでいくと、山際の空が少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいているのがいい。
 
 夏は夜。月が出ているときは言うまでもない。闇夜であっても、ほたるが多く飛び交っているのはいい。また、ほんの一、二匹などが、ほのかに少し光って飛んでいくのも趣がある。そんな夜には、雨など降っても風情がある。
 
 秋は夕暮れ。夕日がさして山の端にとても近くなっている頃に、烏がねぐらへ行こうと、三羽四羽、二羽三羽などと飛び急ぐのさえ、しみじみとした情緒がある。まして雁などが連なって、とても小さく見えるのは実に趣がある。日が入りきって、風の音、虫の音などが聞こえるのは、やはり何ともいえないものだ。
 
 冬は早朝。雪が降ったのは言うまでもない。霜がたいそう白いのも、またそうでなくても、とても寒い朝に、火などを急いでおこして、炭を持ち運ぶのも冬の朝に似つかわしい。昼になり、寒さがだんだんゆるんでいくと、火桶の炭も白い灰が目立ってきて感じ悪い。

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三月三日は~第四段

 三月三日は、うらうらとのどかに照りたる。桃の花の、今咲き始むる。柳などをかしきこそ、さらなれ。それも、まだまゆにこもりたるは、をかし。広ごりたるは、うたてぞ見ゆる。

 おもしろく咲きたる桜を長く折りて、大きなる瓶(かめ)にさしたるこそ、をかしけれ。桜の直衣(なほし)に出袿(いだしうちき)して、まらうどにもあれ、御兄(せうと)の君(きん)たちにても、そこ近くゐて物などうち言ひたる、いとをかし。

【現代語訳】
 三月三日の節供は、うららかにのんびり日が照っているのがよい。桃の花がまさに咲き始めるのも趣きがある。柳などが趣深いのはもちろんだが、その柳もまだまゆのような新芽で外皮に包まれているのはおもしろい。でも、それが広がってしまっているのは見苦しく思える。


 美しく咲いた桜の枝を長く折って、大きな花瓶に挿してあるのはとても趣きがある。桜の直衣に出(い)だし衣をして、お客人にせよ、中宮様のご兄弟の殿様方にせよ、その花瓶近くに座って何か語らいをしているのは、とてもいいものだ。
 
(注)直衣・・・貴人の平服。
(注)出袿・・・指貫の上、直衣の下から下着のすそを下ろすこと。

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思はむ子を~第七段

 思はむ子を法師になしたらむこそ、心苦しけれ。ただ木の端(はし)などのやうに思ひたるこそ、いといとほしけれ。精進物(さうじもの)のいとあしきをうち食ひ、寝(い)ぬるをも、若きは、物もゆかしからむ、女などのある所をも、などか、忌みたるやうにさしのぞかずもあらむ、それをも、安からず言ふ。まいて、験者(げんざ)などは、いと苦しげなめり。困(こう)じてうち眠(ねぶ)れば、「ねぶりをのみして」など、もどかる。いと所せく、いかに覚ゆらむ。

 これは昔のことなめり。今は、いと安げなり。

【現代語訳】
 愛する我が子を法師にしてしまったら、それこそ気の毒だ。世間では、法師をまるで木石などのように思っており、とてもかわいそうだ。法師は、精進物のひどく粗末な食べ物を食べ、寝るときさえ、また若い法師は何かと気を引かれるだろう、女などがいる所をどうして避けるように覗かないでいられようか、しかし、人々はそんなことにもうるさく言う。ふつうの法師でもそうなのに、まして修験者などはたいそう苦しいようだ。疲れてちょっと居眠りしても、「あの修験者は眠ってばかりだ」などと非難される。ものすごく窮屈で、いったいどんな気持ちでいるのだろう。


 もっとも、これは昔のことのようだ。今ではだいぶ気楽なようすだ。

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清涼殿の丑寅の隅の~第二三段

(一)
 清涼殿の丑寅(うしとら)の隅の、北の隔てなる御障子(みさうじ)には、荒海の絵、生きたるものどもの恐ろしげなる、手長(てなが)、足長などをぞ、描(か)きたる。上の御局(みつぼね)の戸を押しあけたれば、常に目に見ゆるを、にくみなどして笑ふ。

 高欄(かうらん)のもとに、青き瓶(かめ)の大きなるを据(す)ゑて、桜のいみじうおもしろき枝の五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、高欄の外(と)まで咲きこぼれたる昼つ方(かた)、大納言殿、桜の直衣(なほし)の少しなよらかなるに、濃き紫の固紋(かたもん)の指貫(さしぬき)、白き御衣(おんぞ)ども、上に濃き綾(あや)のいとあざやかなるを出(い)だして参り給へるに、上の、こなたにおはしませば、戸口の前なる細き板敷きに居給ひて、ものなど申し給ふ。

 御簾(みす)の内に、女房、桜の唐衣(からぎぬ)どもくつろかに脱ぎ垂れて、藤、山吹(やまぶき)など、色々好ましうて、あまた、小半蔀(こはじとみ)の御簾より押し出でたるほど、昼(ひ)の御座(おまし)の方(かた)には、御膳(おもの)まゐる足音高し。警(けい)ひちなど、「をし」と言ふ声聞こゆるも、うらうらとのどかなる日の気色(けしき)など、いみじうをかしきに、果ての御盤(ごばん)取りたる蔵人(くらうど)参りて、御膳(おもの)奏すれば、中の戸より渡らせ給ふ。御供(おんとも)に、庇(ひさし)より大納言殿、御送りに参り給ひて、ありつる花のもとに帰り居給へり。(略)

【現代語訳】
 清涼殿の東北の隅の、北側との隔てになっている障子は、荒海の絵で、恐ろしい姿をした生き物である手長・足長などの絵が描いてある。上の御局の戸はいつも開け放しているので、いつもその不気味な絵が見えるのを、ああ気持ち悪いなどと言って笑っていた。

 縁側の所に、青磁の大きな瓶を置いて、立派に咲いた桜の五尺ほどの枝をたくさん活けていて、手すりの外まで咲きこぼれている。そんな日の昼頃、大納言様(伊周)が桜がさねの直衣のしなやかなのに、濃い紫の、模様を織り出した指貫をはき、下着は白を重ね、一番上に濃い紅の綾織り、その鮮やかな色を直衣のすそからのぞかせてお見えになった。ちょうど帝がこちらにおいでになっていたので、戸口の前の細い板敷で、何かお話になっていた。

 御簾の内には、女房たちが桜がさねの唐衣(正装時の上着)をゆったりと着て、ほかにも、藤がさね、山吹がさねなどの色鮮やかな袖口が、小半蔀の御簾の下からこぼれ出ている。昼の御膳を運んぶ蔵人たちの足音が高らかに聞こえる。周囲を静かにさせるための「をーしー」という先払いの声がして、うららかでのどかな春の日、何とも言えず趣深い。最後のお膳を運び終えた蔵人が、御用意ができましたと奏上するので、帝は中の戸を通っていらっしゃった。大納言様は庇の間を通ってお送り申し上げ、先ほどの桜の差してある瓶の所に戻ってお座りになった。

(二)
 「村上の御時(おほんとき)に、宣耀殿(せんえうでん)の女御(にようご)と聞こえけるは、小一条(こいちでう)の左の大臣(おほい)殿の御女(おんむすめ)におはしけると、誰(たれ)かは知り奉らざらむ。まだ姫君と聞こえける時、父(ちち)大臣(おとど)の教へきこえ給ひけることは、『一には、御手(おんて)を習ひ給へ。次には、琴(きん)の御琴(おんこと)を、人より異(こと)に弾きまさらむとおぼせ、さては、古今(こきん)の歌(うた)二十巻(はたまき)を皆うかばせ給ふを、御学問にはせさせ給へ』となむ、聞こえ給ひける、ときこしめしおきて、御物忌(おんものい)みなりける日、古今(こきん)を持て渡らせ給ひて、御几帳(みきちやう)をひき隔てさせ給ひければ、女御、例ならずあやし、と、おぼしけるに、草子(さうし)を広げさせ給ひて、『その月、何のをり、その人の詠みたる歌は、いかに』と、問ひ聞こえさせ給ふを、かうなりけり、と心得給ふも、をかしきものの、僻(ひが)覚えをもし、忘れたるところもあらば、いみじかるべきこと、と、わりなうおぼし乱れぬべし。その方におぼめかしからぬ人、二(ふたり)三人(みたり)ばかり召し出でて、碁石(ごいし)して数(かず)置かせ給ふとて、強(し)ひ聞こえさせ給ひけむほどなど、いかにめでたうをかしかりけむ。御前(おまへ)に候(さぶら)ひけむ人さへこそ、うらやましけれ。せめて申させ給へば、さかしう、やがて末(すゑ)まではあらねども、すべてつゆ違(たが)ふことなかりけり。いかでなほ、すこしひがごと見つけてをやまむ、と、ねたきまでにおぼしめしけるに、十巻にもなりぬ。『さらに不用なりけり』とて、御草子に夾算(けふさん)さして、大殿籠(おほとのごも)りぬるも、まためでたしかし」

【現代語訳】
 中宮さまがお話あそばされるには、「村上の帝の御代に、宣耀殿の女御といわれた方は、小一条の左の大臣殿(藤原師尹)の姫君であるのは、皆さんご承知でしょう。まだまだ入内前の娘時代に、父の大臣がお教えになったことは、『まず第一に、お習字をなさい。次に七弦の琴を、誰よりも上手に弾けるように心掛けなさい。それから、古今集の二十巻全部の歌を暗記なさい』ということでした。これを帝はかねてお聞きになっておられ、物忌みの日に古今集をお持ちになって女御のお部屋においでになり、間に几帳を立ててお座りになったので、女御は、いつもと違うよそよそしいお振舞いに、どうしたことかとお思いになったが、帝は古今の草子をお広げになって、『何の月、何々の時に、誰それの詠んだ歌は何という歌か』と質問なさるので、試験をなさるおつもりなのだと、おもしろくお思いになったものの、覚え違いをし、忘れたところがあったりしたら、大変な恥になると、その時はどんなにか心配なさったことでしょう。帝は、歌に心得のある女房を二、三人お呼びになって、碁石で、お二人の勝ち負けを数えさせようということで、無理にも女御にお返事させようとなさったその場の雰囲気など、どんなにかすばらしく優雅なご様子だったことでしょう。御前に侍った女房たちをもうらやましく思われることです。帝が、無理にも答えをお求めになると、女御は、賢らにその歌を最後までお答えになるようなことはなさいませんでしたが、すべて少しも間違えることはなかったのです。帝は、何とか少しでも間違いを見つけてから止めようと続けていかれるうちに、とうとう十巻がすんでしまいました。帝は、「これ以上は無駄だ」と、御本にしおりをはさんで、お二人はお休みになられた、これまた素晴らしいことです」

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すさまじきもの~第二五段

(一)
 すさまじきもの。昼ほゆる犬。春の網代(あじろ)。三、四月の紅梅の衣(きぬ)。牛死にたる牛飼ひ。児(ちご)亡くなりたる産屋(うぶや)。人おこさぬ炭櫃(すびつ)、地火炉(ぢくわろ)。博士(はかせ)のうち続き女子(をんなご)生ませたる。方違(かたたが)へに行きたるに、あるじせぬ所。まいて節分(せちぶん)などはいとすさまじ。

 人の国よりおこせたる文(ふみ)の、物なき。京のをも、さこそ思ふらめ。されどそれは、ゆかしきことどもをも書き集め、世にあることなどをも聞けば、いとよし。人のもとに、わざと清げに書きてやりつる文の返り言、今は持(も)て来(き)ぬらむかし、あやしう遅き、と待つほどに、ありつる文、立て文をも結びたるをも、いと汚げにとりなし、ふくだめて、上に引きたりつる墨など消えて、「おはしまさざりけり」もしは、「御物忌みとて取り入れず」と言ひて持て帰りたる、いとわびしく、すさまじ。

 また、かならず来(く)べき人のもとに車をやりて待つに、来る音すれば、「さななり」と人々出でて見るに、車宿りにさらに引き入れて、轅(ながえ)ほうと打ち降ろすを、「いかにぞ」と問へば、「今日は、ほかへおはしますとて、渡りたまはず」などうち言ひて、牛の限り引き出でて去ぬる。

 また、家のうちなる男君の来ずなりぬる、いとすさまじ。さるべき人の宮仕へするがりやりて、恥づかしと思ひゐたるも、いとあいなし。

【現代語訳】
 興ざめなもの。昼間に吠える犬。春の網代。三、四月の紅梅かさねの衣。牛が死んでしまった牛飼い。赤ん坊が死んでしまった産屋。火を起こしていない角火鉢やいろり。博士が続いて女の子ばかり産ませた場合。方違えに行ったのに、もてなしをしない所。まして季節の変わり目などには、あらかじめ分かっているはずだから、まことに興ざめだ。


 地方からよこした手紙で、贈り物を添えていないもの。京からのもそう思うかもしれないが、京からのは知りたいことなどをも書き集め、世間の出来事などをも知ることができるので、贈り物がなくてもすばらしいのだ。人のところにとくにきちんと書いて送った手紙で、そろそろ返事を持ってきているだろうか、妙に遅いな、と待つうちに、先だっての手紙を、それが正式な立て文にせよ略式の結び文にしろ、ひどく汚く扱い、けばだたせ、封じ目として上に引いてあった墨なども消え、「いらっしゃいませんでした」とか「御物忌みだといって受け取りません」と言って持ち帰るなどは、ほんとうに情けなく興ざめだ。

 また、必ず来るはずの人の所に迎えの牛車をやって待っていると、牛車が来る音がするので、やって来たようだと人々が出てみると、牛飼いは車を止めず、そのうえ車庫に引き入れて、轅をばたんと下ろすので、「どうしたのか」と聞けば、「今日はよそへいらっしゃるというので、こちらへはおいでになりません」などと言い、牛だけ引き出して去ってしまうのは興ざめだ。

 また、家の内に迎え、通ってきていた男性が来なくなってしまうのも、ひどく興ざめだ。しかるべき身分で、自分が宮仕えしているところの女性のもとに婿を取られ、気が引けているのも実におもしろくない。
 
(注)網代・・・冬に竹や木を編んで川の浅瀬に並べ、あゆの稚魚などを捕らえる仕掛け。
(注)紅梅の衣・・・11月から2月ごろに着る、襲(かさね)の表と裏の配色の一つ。
(注)地火炉・・・いろり
(注)博士・・・大学寮などに属する教官。男子の世襲制だった。
(注)方違へ・・・陰陽道で、外出する方角が悪い場合に、前夜に他の方角に向かって一泊し、あらためて目的地に向かうこと。
(注)轅・・・牛車の前方にある二本の長い棒。

(二)
 児(ちご)の乳母(めのと)の、ただあからさまにとて出でぬるほど、とかく慰めて、「とく来(こ)」と言ひやりたるに、「今宵(こよひ)は、え参るまじ」とて返しおこせたるは、すさまじきのみならず、いとにくくわりなし。女迎ふる男、まいていかならむ。待つ人ある所に、夜すこし更けて、忍びやかに門(かど)たたけば、胸すこしつぶれて、人出だして問はするに、あらぬよしなき者の名のりして来たるも、返す返すもすさまじと言ふはおろかなり。

 験者(げんざ)の、物の怪(け)調ずとて、いみじうしたり顔に独鈷(とこ)や数珠(ずず)など持たせ、蝉(せみ)の声しぼり出だして読みゐたれど、いささかさりげもなく、護法(ごほふ)もつかねば、集り居、念じたるに、男も女もあやしと思ふに、時(じ)のかはるまで読み困(こう)じて、「さらにつかず。立ちね」とて、数珠取り返して、「あな、いと験(げん)なしや」とうち言ひて、額(ひたひ)より上(かみ)ざまにさくり上げ、欠伸(あくび)おのれよりうちして、寄り臥しぬる。

 いみじうねぶたしと思ふに、いとしもおぼえぬ人の、押し起こして、せめてもの言ふこそ、いみじうすさまじけれ。

【現代語訳】
 赤ん坊の乳母が、ほんのちょっとと言って出かけた間、赤ん坊をあれこれあやして、乳母に「早く帰ってきなさい」と言ってやったところが、「今夜はどうしても参上できません」と返事があったときは、がっかりするだけでなく、ほんとうに憎らしく困ってしまう。これが乳母ではなく、愛する女を迎えにやった男だったら、ましてどうであろうか。待っている人があるところに夜が少し更けて、こっそり門をたたくので、胸が少しどきどきして、人を出して尋ねさせると、別の関係ない男が名乗ってきた場合も、ひどく興ざめだと言っても言い足りない。


 修験者が物の怪を調伏するといって、たいそう得意顔で独鈷や数珠などを持たせて、蝉の鳴くような声を絞り出して経を読んでいたが、いっこうに物の怪を調伏する気配もなく、護法童子もつかないので、家の者が集まり座って念じていたのが、男も女も変だなと思っていると、修験者は時が変わるまで読み続けて疲れきってしまい、「いっこうに護法童子がつかない。立ってしまえ」と言って、数珠を取り返し、「ああ、まったく験(しるし)がない」と言って、額の髪をなで上げ、あくびをして物に寄りかかって寝てしまったのは興ざめだ。

 とても眠たく思っているときに、それほどにも思っていない人が揺り起こして、無理に話しかけるのは、ひどく興ざめだ。

(三)
 除目(ぢもく)に司(つかさ)得ぬ人の家。今年は必ずと聞きて、はやうありし者どもの、ほかほかなりつる、田舎だちたる所に住む者どもなど、皆集まり来て、出で入る車の轅(ながえ)もひまなく見え、もの詣(まう)でする供に我も我もと参りつかうまつり、物食ひ酒飲み、ののしり合へるに、果つる暁(あかつき)まで門(かど)たたく音もせず、「あやしう」など、耳立てて聞けば、先追ふ声々などして上達部(かんだちめ)など皆出でたまひぬ。もの聞きに、宵より寒がりわななきをりける下衆男(げすおとこ)、いともの憂げに歩み来るを、見る者どもは、え問ひだにも問はず、外(ほか)より来たる者などぞ、「殿は、何にかならせたまひたる」など問ふに、答(いら)へには「何の前司(ぜんじ)にこそは」などぞ、必ず答(いら)ふる。まことに頼みける者は、いと嘆かしと思へり。つとめてになりて、ひまなくをりつる者ども、一人二人すべり出でて去ぬ。古き者どもの、さもえ行き離るまじきは、来年の国々、手を折りてうち数へなどして、ゆるぎありきたるも、いとをかしうすさまじげなり。

【現代語訳】
 除目の折に官職を得られなかった人の家は興ざめがする。今年は必ず任官だとのうわさを聞いて、以前に奉公していた者たちで、散り散りになっている者や田舎めいた所に住む者たちがみんな集まってきて、出入りする牛車の轅もひっきりなしに見え、主人が任官祈願に寺社に参拝するお供にと、我も我もと参上し、物を食い、酒を飲んで騒ぎあっているのに、任官の審議が終わる明け方まで門をたたく音もせず、おかしいなと耳をすませば、人を先払いする声などがして、会議を終えた上達部たちはみな退出なさってしまった。情報を聞くために宵から出かけて寒さに震えた召使いが、いかにも憂鬱げに歩いてくるのを見た人たちは、声をかけて尋ねることもできず、よその者が「ご主人は何におなりになりましたか」などと聞くと、「前の何処そこの国司ですよ」と決まって答える。心からあてにしていた者は、ひどく嘆かわしく思っている。早朝になり、すきまなくいた者たちは、一人二人とこっそり立ち去る。古参で、そのように立ち去れない者は、来年に国司が交代するはずの国々を指を折って数えたりして、体を揺り動かしながら歩き回っているのも、ひどく妙な姿で興ざめがするものだ。 

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憎きもの~第二八段

(一)
 憎きもの。急ぐことあるをりに来て、長言(ながこと)するまらうど。あなづりやすき人ならば、「後(のち)に」とてもやりつべけれど、さすがに心はづかしき人、いと憎く、むつかし。硯(すずり)に髪の入りてすられたる。また、墨の中に、石のきしきしときしみ鳴りたる。

 にはかにわづらふ人のあるに、験者(げんざ)求むるに、例ある所にはなくて、外(ほか)に尋ねありくほど、いと待ち遠に久しきに、からうじて待ちつけて、喜びながら加持(かぢ)せさするに、このごろ物の怪にあづかりて困(こう)じにけるにや、居るままにすなはちねぶり声なる、いと憎し。

 なでふことなき人の、笑(ゑ)がちにて物いたう言ひたる。火桶(ひをけ)の火、炭櫃(すびつ)などに、手の裏うち返しうち返しおしのべなどして、あぶりをる者。いつか、若やかなる人など、さはしたりし。老いばみたる者こそ、火桶の端(はた)に足をさへもたげて、物言ふままに押しすりなどはすらめ。さやうの者は、人のもとに来て、居むとする所を、まづ扇(あふぎ)してこなたかなたあふぎ散らして、塵(ちり)掃き捨て、居も定まらずひろめきて、狩衣(かりぎぬ)の前巻き入れても居るべし。かかることは、言ふかひなき者の際(きは)にやと思へど、少しよろしき者の、式部の大夫(たいふ)など言ひしが、せしなり。

 また、酒飲みてあめき、口を探り、髭(ひげ)ある者はそれをなで、盃(さかづき)、異人(ことひと)に取らするほどのけしき、いみじう憎しと見ゆ。また、「飲め」と言ふなるべし、身震ひをし、頭(かしら)振り、口わきをさへ引き垂れて、童(わらは)べの「こう殿(との)に参りて」など歌ふやうにする。それはしも、まことによき人のしたまひしを見しかば、心づきなしと思ふなり。

【現代語訳】
 憎らしいもの。急ぎの用事がある時に来て長話をする客。それがどうでもいいような人なら、「あとでまた」と言ってでも帰すこともできるが、さすがに遠慮すべき立派な人にはそうもできず、ほんとうに憎らしく不愉快だ。硯に髪の毛が入ったまま磨られているとき。また、墨の中に石が入っていて、きしきしと音をたてるとき。


 急病人がいて、祈祷師を呼びにやっても留守で、ほかを尋ね回っている間はずいぶん待ち遠しく、やっと待ち受けて喜んで加持をさせると、この祈祷師は物の怪の調伏で疲れてしまったばかりなのか、座ったとたんにすぐに眠ったような声なのは、とても憎らしい。

 大した人でもないのに、にやにや笑いながらやたらとしゃべりまくっているとき。丸火鉢の火や炭櫃などに、かざした手のひらを何度もひっくり返し、しわを伸ばしながらあぶっている者。若々しい人がいつそんなことをしただろうか。年寄りじみた者に限って、丸火鉢の縁に足までかけて、ぶつぶつ言いながら足をこすったりもするようだ。そんな者は、人の所に来て、座ろうとする場所を、まずは扇であっちこっちへあおぎ散らして塵を掃き捨て、座っても落ち着かずよろめいて、狩衣の前の垂れを下に巻き入れて座ったりする。こんな行儀の悪さは、言うほどもない身分の者のすることかと思うが、少しはましな身分の式部の大夫などといった人がそうしたのだ。

 また、酒を飲んでわめき、口の辺りをこすり、ひげのある者はそれを撫で、盃を他人に取らせるときのようすは、とても憎らしく見える。また、「飲め」ということか、身震いをし、頭を振り、口までへの字に曲げて、子どもが「こふ殿に参りて」などと歌うような口ぶりをする。それがなんと、まことに立派な身分の人がなさったのを見て、幻滅した。

(注)狩衣・・・貴族男子の平服。前垂れは、座るときには向こうに出しておくのが作法だった。

(二)
 ものうらやみし、身の上嘆き、人の上言ひ、露塵(つゆちり)のこともゆかしがり、聞かまほしうして、言ひ知らせぬをば、怨(ゑん)じ、そしり、また僅(わづ)かに聞き得たることをば、わがもとより知りたることのやうに、異人(ことひと)にも語りしらぶるも、いと憎し。

 物聞かむと思ふほどに泣くちご。烏(からす)の集まりて飛び違ひ、さめき鳴きたる。

 忍びて来る人、見知りてほゆる犬。あながちなる所に隠し臥せたる人の、いびきしたる。また、忍び来る所に、長烏帽子(ながえぼし)して、さすがに人に見えじとまどひ入るほどに、物につきさはりて、そよろといはせたる。伊予簾(いよす)など掛けたるにうちかづきて、さらさらと鳴らしたるも、いと憎し。帽額(もかう)の簾(す)は、まして、こはじのうち置かるる音、いとしるし。それも、やをら引き上げて入るは、さらに鳴らず。遣戸(やりど)を荒くたてあくるも、いとあやし。少しもたぐるやうにしてあくるは、鳴りやはする。あしうあくれば、障子(さうじ)などもごほめかしうほとめくこそ、しるけれ。

 ねぶたしと思ひて臥したるに、蚊(か)の細声にわびしげに名のりて、顔のほどに飛びありく。羽風(はかぜ)さへその身のほどにあるこそ、いと憎けれ。

 きしめく車に乗りてありく者。耳も聞かぬにやあらむと、いと憎し。わが乗りたるは、その車の主(ぬし)さへ憎し。

【現代語訳】
 他人をうらやましがり、自分の身の上を嘆き、他人のことをあれこれ言い、ちょっとしたことも知りたがり聞きたがったりして、言ってくれないと恨んで、悪口を言い、また、ちょっと聞きかじったことを、自分が前から知っていたかのように他人に調子よく話すのもとても憎らしい。


 人の話を聞こうと思うときに泣き出す赤ん坊。カラスが集まって飛び交い、騒がしく鳴いているとき。

 忍んでこっそり通ってくる男を見つけて吠える犬。無理な場所に隠した男が、こちらの気も知らずにいびきをかいているとき。また、長烏帽子のままやって来て、それでも人に見つからないようにとあわてて入るときに、烏帽子が何かに突き当たってがさっと音を立てたとき。伊予簾などをかけてあるのに、くぐるときに頭が当たってさらさらと音を立てるのも、とても憎らしい。帽額の簾は、まして小端の置かれる音がとても耳障りだ。それらは、静かに引き上げて入れば全く音はしない。遣戸を荒々しく開けたりするのもけしからぬことだ。少しでも持ち上げるようにして開ければ、音なんかしないのに。へたに開けると、襖障子などでもがたがたと際立って音がするものだ。

 眠たいと思って横になっているところに、蚊が細い声でわびしそうに名乗って顔の周りを飛び回るとき。羽風までもが蚊の身相応にあるのこそ、とても憎らしい。

 ぎしぎしときしむ車に乗って移動する者。耳が聞こえないのかと思われ、たいそう憎らしい。自分がそんな車に乗ったときは、車の持ち主までが憎らしい。
 
(注)伊予簾・・・伊予国(愛媛県)で産出される葦の細い茎で編んだすだれ。
(注)遣戸・・・横に引いて開け閉めする戸。

(三)
 また、物語するに、さしいでして、我ひとりさいまくる者。すべてさしいでは、童(わらは)も大人もいと憎し。あからさまに来たる子ども、童べを見入れ、らうたがりて、をかしき物取らせなどするに、慣らひて常に来つつ、居入(ゐい)りて調度(でうど)うち散らしぬる、いと憎し。

 家にても宮仕へ所にても、会はでありなむと思ふ人の来たるに、そら寝をしたるを、わがもとにある者、起こしに寄り来て、いぎたなしと思ひ顔に引きゆるがしたる、いと憎し。今参りの、さし越えて、物知り顔に教へやうなること言ひ、後ろ見たる、いと憎し。

 わが知る人にてある人の、はやう見し女のこと、ほめ言ひいでなどするも、ほど経たることなれど、なほ憎し。まして、さしあたりたらむこそ、思ひやらるれ。されど、なかなか、さしもあらぬなどもありかし。

 はなひて誦文(ずもん)する、おほかた、人の家の男主(をとこしゆう)ならでは、高くはなひたる、いと憎し。蚤(のみ)もいと憎し。衣(きぬ)の下に踊(をど)りありきて、もたぐるやうにする。犬の諸声(もろこゑ)に長々と鳴き上げたる、まがまがしくさへ憎し。

 あけて出で入る所、たてぬ人、いと憎し。

【現代語訳】
 また、話をするときに、でしゃばって自分ばかり先走る者。大体でしゃばりは、子どもでも大人でもとても憎らしい。ちょっとやって来た子どもや召使いの少年らに、目をかけてかわいがり、面白い物を与えたりすると、それに慣れてしょっちゅうやって来ては部屋に座り込み、回りの品々を取り散らかすのはほんとうに憎らしい。

 自宅でも奉公先でも、会いたくない人がやって来て、狸寝入りをしているのに、そこにいる者が起こしに寄ってきて、寝坊していると思って引っ張って揺するのは、まことに憎らしい。新参者がしゃしゃり出て、何でも知っているような顔で指図がましく言い、仕切っているのも、ほんとうに憎らしい。


 自分と今関係している男が、以前関係のあった女のことをほめて話し出すのも、年月が過ぎたこととはいえ、やはり憎らしい。まして、現在のことだったらどんなであろうかと思いやられる。しかし、かえってそれほど憎らしくないこともあるものだ。

 くしゃみをして自分でまじないを唱えるとき。大体、一家の男主人以外の人が高くくしゃみをするのは、実に憎らしい。
のみもとても憎らしい。着物の下で跳ね回り、着物を持ち上げるようにするとき。犬が声をそろえて長々と吠え立てているのも、不吉な感じもして憎らしい。

 開けて出入りする所を閉めないままにする人は、とても憎らしい。

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心ときめきするもの~第二九段

 心ときめきするもの。雀(すずめ)の子飼ひ。ちご遊ばする所の前渡る。よき薫(た)き物たきて、ひとり臥したる。唐鏡(からかがみ)の少し暗き見たる。よき男の、車とどめて案内(あない)し問はせたる。

 頭(かしら)洗ひ、化粧(けさう)じて、香(かう)ばしうしみたる衣(きぬ)など着たる。ことに見る人なき所にても、心のうちは、なほいとをかし。待つ人などのある夜、雨の音、風の吹きゆるがすも、ふと驚かる。

【現代語訳】
 心がときめくもの。雀の子を飼うこと。幼児を遊ばせている所の前を通ること。上品な香をたいてひとり身を横たえているとき。中国渡来の鏡が少し曇っているのを見つけたとき。身分の高い男性が家の前に車を止めて、従者に取次ぎをさせ、何かを尋ねているのを見るとき。


 髪を洗い、化粧をして、香の薫りがしみた着物などを着たとき。とくに見てくれる人がいなくても、心の中はやはりとても快い。待つ男性がある夜、胸がどきどきして雨の音や風が戸を吹きゆるがすのにも、はっとしてしまう。

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過ぎにしかた恋しきもの~第三〇段

 過ぎにし方恋しきもの。枯れたる葵(あふひ)。雛(ひひな)あそびの調度(でうど)。二藍(ふたあゐ)、葡萄染(えびぞめ)などのさいでの、押しへされて、草紙の中にありける、見つけたる。また、折からあはれなりし人の文(ふみ)、雨など降り徒然(つれづれ)なる日、探し出でたる。去年(こぞ)のかはほり。

【現代語訳】
 過ぎ去ったころのことが恋しく思い出されるもの。枯れてしまった葵の葉。お人形遊びの道具類。紫がかった青色、薄紫色などの布の端切れが、ぺちゃんこになって本の間などに挟まっているのを見つけたの。また、もらったときしみじみと心を動かされた手紙を、雨などが降って所在ない日に見つけだしたの。去年使った夏の扇。

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虫は~第四三段

 虫は 鈴虫。ひぐらし。蝶(てふ)。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。ひを虫。螢。

 蓑(みの)虫、いとあはれなり。鬼の生みたりければ、親に似て、これも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣(きぬ)ひき着せて、「今、秋風吹かむをりぞ、来むとする。待てよ」と言ひ置きて逃げて去(い)にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月(はづき)ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。

 額(ぬか)づき虫、またあはれなり。さる心地に道心おこして、つきありくらむよ。思ひかけず暗き所などに、ほとめきありきたるこそ、をかしけれ。

 蠅(はへ)こそ、にくきもののうちに入れつべく、愛敬(あいぎやう)なきものはあれ。人々しう、敵(かたき)などにすべき物の大きさにはあらねど、秋など、ただよろづの物に居、顔などに濡れ足して居るなどよ。人の名につきたる、いとうとまし。

 夏虫、いとをかしう、らうたげなり。火近う取り寄せて物語など見るに、草子の上などに飛びありく、いとをかし。蟻(あり)は、いとにくけれど、軽(かろ)びいみじうて、水の上などを、ただ歩みに歩みありくこそ、をかしけれ。

【現代語訳】
 虫で趣があるのは、松虫。ひぐらし。蝶。鈴虫。こおろぎ。きりぎりす。われから。かげろう。蛍。

 蓑虫。これはとてもかわいそうだ。鬼が生んだので、親に似て、この子も恐ろしい心があるだろうとして、親がみすぼらしい着物を着せて、「もうすぐ秋風が吹くので、そのころに来よう。待っていなさい」と言って置いて逃げていったのも知らず、秋風を聞いて、八月ころになると、「ちちよ、ちちよ」と心細げに鳴くのは、ほんとうにかわいそうだ。

 米つき虫も、またけなげだ。そのような小さな虫でありながら求道心を起こして、額を地面につけながら歩き回っているのだろう。思いがけず暗い所などで、ことこと音を立てて歩き回っているのはおもしろい。

 蝿こそは憎らしいものの中に入れるべきで、かわいげがないものだ。人並みに相手にすべきほどの大きさではないが、秋など、やたらといろいろなものにとまり、顔などに濡れた足でとまったりすることよ。人の名に、蝿という字がついているのは、とても気味が悪い。


 夏虫は、とてもおもしろくかわいらしい。灯火を近くに引き寄せて物語などを見るときに、本の上などに飛び回るのは、たいそう風情がある。蟻はたいへん憎らしいが、身の軽さがばつぐんで、水の上などをひたすら歩き回るのがおもしろい。
 
(注)きりぎりす・・・今のこおろぎ。はたおりが今のきりぎりす。

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あかつきに帰らむ人は~第六三段

 あかつきに帰らむ人は、装束(さうぞく)などいみじううるはしう、烏帽子の緒(を)、元結(もとゆひ)かためずともありなむとこそ、覚ゆれ。いみじくしどけなく、かたくなしく、直衣(なほし)、狩衣(かりぎぬ)などゆがめたりとも、誰(たれ)か見知りて笑ひそしりもせむ。

 人はなほ、暁(あかつき)の有様こそ、をかしうもあるべけれ。わりなくしぶしぶに起きがたげなるを、強(し)ひてそそのかし、「明けすぎぬ。あな見苦し」など言はれて、うち嘆くけしきも、げに飽かず物憂くもあらむかし、と見ゆ。指貫(さしぬき)なども、居ながら着もやらず、まづさし寄りて、夜言ひつることの名残、女の耳に言ひ入れて、何わざすともなきやうなれど、帯など結ふやうなり。格子(かうし)押し上げ、妻戸(つまど)ある所は、やがてもろともに率(ゐ)て行きて、昼のほどのおぼつかならむことなども、言ひ出でにすべり出でなむは、見送られて、名残もをかしかりなむ。

 思ひ出で所ありて、いときはやかに起きて、ひろめきたちて、指貫(さしぬき)の腰ごそごそとかはは結ひ、直衣(なほし)、上のきぬ、狩衣も、袖かいまくりて、よろとさし入れ、帯いとしたたかに結ひ果てて、つい居て、烏帽子の緒、きと強げに結ひ入れて、かいすふる音して、扇、畳紙(たたうがみ)など、昨夜(よべ)枕上(まくらがみ)に置きしかど、おのづから引かれ散りにけるを求むるに、暗ければ、いかでかは見えむ。「いづら、いづら」と叩きわたし、見出でて、扇ふたふたと使ひ、懐紙(ふところがみ)さし入れて、「まかりなむ」とばかり言ふらめ。

【現代語訳】
 明け方に女の所から帰ろうとする男は、服装などえらくきちんとして、烏帽子の緒や髪の元結を固く結ばなくてもよさそうに思える。かなりだらしなく、ぶざまに、直衣や狩衣などがゆがんでいても、誰が見知って笑ったり悪口を言ったりしようか。

 男は、やはり、明け方の別れのありさまこそが風流であるべきだ。やたらしぶって起きにくそうにしているのを、女が無理にせかし、「明るくなり過ぎましたよ。まあ、みっともない」などと言われて、ため息をつくようすも、ほんとうに名残惜しくて別れが辛いのだろうと見える。指貫なども、座ったままで着ようともせず、まずは女に近寄って、夜の話の続きを耳元にささやき、特に何をするふうでもなく、帯などを結んでいるようだ。格子を上げたり、妻戸のある所に、そのまま女をいっしょに連れていき、昼間の待ち遠しいことなども言いながら、そっと出て行くようすは、女も自然に見送ることになって、名残も趣きがあるものだ。


 かたや、思い出す所があり、たいそうさっぱりと起き出し、ばたばたと動き回り、指貫の腰紐をがさがさと結び直し、袍や狩衣も袖をまくり上げて、さっさと腕を通し、帯をとても強く結んで、ひざまずいて烏帽子の緒をきゅっと強めに結び、かき寄せる音がして、扇・畳紙など昨夜枕元に置いて自然に散らかったのを探すのだが、暗いので見えはしない。どこだどこだと探し回って、やっと探し出し、扇をぱたぱたと使い、懐紙を懐中に入れながら、「帰るよ」とだけ言うような男もいる。

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ありがたきもの~第七五段

 舅(しうと)にほめらるる婿。また、姑(しうとめ)に思はるる嫁の君。毛のよく抜くる銀(しろがね)の毛抜き。主(しゆう)そしらぬ従者(ずさ)。つゆの癖なき。かたち、心、有様すぐれ、世に経(ふ)るほど、いささかの疵(きず)なき。同じ所に住む人の、かたみに恥ぢかはし、いささかのひまなく用意したりと思ふが、つひに見えぬこそ、難(かた)けれ。物語、集など書き写すに、本に墨つけぬ。よき草子などは、いみじう心して書けど、必ずこそきたなげになるめれ。男、女をば言はじ、女どちも、契り深くてかたらふ人の、末まで仲よきこと、難し。

【現代語訳】
 
めったにないもの。舅にほめられる婿。また、姑にかわいがられるお嫁さん。毛がよく抜ける銀の毛抜き。主人のことを悪く言わない従者。少しも癖のない人。容姿や気立て、態度が秀でており、世間を過ごす間に、少しも非難を受けない人。同じ所に奉公住みしている人で、互いに気兼ねしてほんの少しも油断なく心遣いしていると思う人が、最後まで人に隙を見られないというのはめったにない。物語や歌集を書き写すとき、もとの本に墨をつけない人。価値のある本などは、たいそう気を使って書き写すのだが、必ず汚らしくなってしまうようだ。男女の仲については言うまでもないが、女同士でも、行く末長くと約束して付き合っている人で、最後まで仲の良い人というのは、めったにない。

(注)現代語訳は、現代文としての不自然さをなくすため、必ずしも直訳ではない箇所があります。

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万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

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『枕草子』について

11世紀初めに、清少納言によって書かれた随筆。跋文(ばつぶん:あとがきのこと)と300段前後からなる(伝本によって章段数が異なる)。『枕草子』の命名は、おそらく後人が跋文の「枕にこそは侍らめ」から命名したものと考えられ、「枕草子」が普通名詞となった経緯から、『清少納言枕草子』が正しい呼称とされる。「枕」の意味は諸説あり、題詞の意かともいわれる。
 
内容は類聚(るいじゅう)的な章段・日記的な章段・随想的な章段の3つに分けられる(明確に分類できない段もある)。

類聚章段は、同種類のものを連想によって並べ立てているもの。「山は」「木の花は」などの「は型」と、「めでたきもの」「うつくしきもの」などの「もの型」に分けられ、ともに当時の和歌的な美意識には収まりきれない新鮮な発想がみられる。全体の半分近くがこの形式の章段で、他には見られない形式。
 
日記的章段はおもに作者の20代終わりから30代半ばにかけての、約10年間の宮仕えを中心とする生活の記録で、主人の中宮(天皇の后の最高位)定子をはじめ多くの人々との交流が生き生きと描かれている。和歌や漢詩の高い知識をふまえた機知に富んだやりとりが特徴的で、定子のサロンの文化水準の高さを物語っている。定子の父道隆の死後、中宮の周辺には不幸な出来事が続き、自ら明るくふるまうことで雰囲気を盛り立てていこうとする作者の姿が痛々しい。
 
随想的章段は、日常生活や自然についての感想をつづったエッセー風のもので、冒頭の「春は曙(あけぼの)」の段などがふくまれる。類聚章段に感想を交えたようなもの。
 
作品をつらぬくのは、明るく理知的な「をかし」の精神であり、同時代の『源氏物語』が「あはれ」の文学であったのと対比される。ただし、『源氏物語』のような深い人生観はみられない。わが国最初の随筆文学であり、後代の随筆、とりわけ吉田兼好の『徒然草』に大きな影響をあたえた。

清少納言について

平安時代の歌人、作家。治安・万寿年間(1021~28年)ころ没。曽祖父の清原深養父と共に中古三十六歌仙のひとり。父は清原元輔。橘則光と結婚して則長をもうけるが、のち離別。中関白・藤原道隆の後見する一条天皇皇后・定子に仕え、後宮では、折りにつ機敏な才能を発揮した。藤原公任、源俊賢、藤原斉信、藤原行成らをはじめ、公卿殿上人などとの交流においても才知を披瀝している。
 
道隆の死後、その子伊周、隆家が失脚し、定子の後宮が衰微していくなかで、反対勢力の道長方とみられたこともあった。この時期、清少納言は長く里に引きこもり、この間に、鬱屈を紛らわせるため『枕草子』の草稿本が書かれたのではないかといわれている。
 
長保2年(1000年)の定子没後は、その遺児脩子内親王に仕えたり、摂津守藤原棟世と結婚し、小馬命婦を生んだりしたらしい。晩年は零落して地方に住んでいたという逸話が『無名草子』や『古事談』などにあるが、実際は父の住んでいた月輪(京都東南の郊外)で暮らしたとされる。
 
歌集『清少納言集』には日常生活的な詠歌が多く、機知に長けた表現の即興的詠風である。その歌風には古今集風の詠歌をする曾祖父と、即興的詠歌をする父との歌才を直接に受け継いだ面がある。しかし、二人の影響は、詠歌よりも『枕草子』の表現に結実している。
 
『紫式部日記』には「さかしだち、真名書きちらして侍るほども、よく見れば、まだいとたへぬこと多かり(賢ぶって学才をひけらかすけれども、浅薄なものでしかない)」と、厳しい批評があるが、むしろ臨機応変な対応が要求された後宮で、鋭敏な感性と常識的教養に裏打ちされた知識と即興的行動が周囲の人々を感嘆させた。また、周りがそれを歓迎したことなどが『枕草子』成立の基盤となっている。
 
このように『枕草子』は、宮廷文化のなかで、中関白家の教養ある環境と清少納言の感性、表現力とから生まれたものであるといえる。「春はあけぼの」などそれまで和歌には詠まれなかった題材も、『枕草子』では新たな美的評価が与えられるなど、清少納言の文学的貢献は大きい。

なお「清少納言」は本名ではなく、中宮定子に仕えた時につけられたと思われる女房名であり、本名は不明。「清」は「清原氏」の「清」で、「少納言」はふつう父親の役職が付されるものの、父の元輔も他の親族にも少納言に就任した者はおらず、なぜ少納言なのかは不明。

清少納言の略年譜

966年
清女、この年に生まれる?

976年
定子が藤原道隆の長女として生まれる

981年
清女、この年に橘則光と結婚?

982年
清女、則長を産む

986年
一条天皇即位

989年
道隆が内大臣に

990年
道隆の娘、定子が入内

990年
道隆が関白、摂政に
定子が中宮に

990年
清女の父・元輔が任国肥後で死去

993年
清女、定子のもとへ宮仕え

994年
定子の兄・伊周が内大臣に

995年
道隆が病死
道隆の弟の藤原道長が内大臣、氏長者に

996年
伊周・隆家の従者が花山院に矢を射る事件が起こる
伊周が大宰府に、弟の隆家が出雲に左遷される
定子が落飾
定子が第一皇女を出産

997年
伊周・隆家が罪を許されて召還

999年
道長の長女・彰子が入内
定子が第一皇子を出産

1000年
定子が皇后、彰子が中宮に
定子が第二皇女を出産
定子が死去

1001年
清女、この年に宮仕えを辞去か?
その後、摂津守・藤原棟世(ふじわらのむねよ)と結婚、一女をもうける
晩年は孤独で、京都郊外の月輪でひっそり暮らしたという

1025年
清女、このころ死去か?

『枕草子』の各段①

  1. 春はあけぼの
  2. 頃は
  3. 正月一日は
  4. 三月三日は
  5. 四月、祭の頃
  6. おなじことなれどもきき耳ことなるもの
  7. 思はん子を
  8. 大進生昌が家に
  9. うへにさぶらふ御猫は
  10. 正月一日、三月三日は
  11. よろこび奏するこそ
  12. 今内裏のひむがしをば
  13. 山は
  14. 市は
  15. 峰は
  16. 原は
  17. 淵は
  18. 海は
  19. みささぎは
  20. わたりは
  21. たちは
  22. 家は
  23. 清涼殿の丑寅のすみの
  24. おひさきなく
  25. すさまじきもの
  26. たゆまるるもの
  27. 人にあなづらるるもの
  28. にくきもの
  29. こころときめきするもの
  30. すぎにしかた恋しきもの
  31. こころゆくもの
  32. 檳榔毛は
  33. 諸経の講師は
  34. 菩提といふ寺に
  35. 小白河といふ所は
  36. 七月ばかりいみじうあつければ
  37. 木の花は
  38. 池は
  39. 節は五月にしく月はなし
  40. 花の木ならぬは
  41. 鳥は
  42. あてなるもの
  43. 虫は
  44. 七月ばかりに
  45. にげなきもの
  46. 細殿に人あまたゐて
  47. 主殿司こそ
  48. をのこは
  49. 職の御曹司の西面の
  50. 馬は
  51. 牛は
  52. 猫は
  53. 雑色・随身は
  54. 小舎人童
  55. 牛飼は
  56. 殿上の名対面こそ
  57. 若くよろしき男の
  58. 若き人、ちごどもなどは
  59. ちごは、あやしき弓
  60. よき家の中門あけて
  61. 滝は
  62. 河は
  63. あかつきに帰らん人は
  64. 橋は
  65. 里は
  66. 草は
  67. 草の花は
  68. 集は
  69. 歌の題は
  70. おぼつかなきもの
  71. たとしへなきもの
  72. 夜鳥どものゐて
  73. しのびたる所にありては
  74. 懸想人にて来たるは
  75. ありがたきもの
  76. 内裏の局、細殿いみじうをかし
  77. まいて、臨時の祭の調楽などは
  78. 職の御曹司におはします頃、木立などの
  79. あぢきなきもの
  80. 心地よげなるもの
  81. 御仏名のまたの日
  82. 頭の中将の、すずろなるそら言を
  83. かへる年の二月廿日よ日
  84. 里にまかでたるに
  85. 物のあはれ知らせ顔なるもの
  86. さて、その左衛門の陣などに
  87. 職の御曹司におはします頃、西の廂にて
  88. めでたきもの
  89. なまめかしきもの
  90. 宮の五節いださせ給ふに
  91. 細太刀に平緒つけて
  92. 内裏は五節の頃こそ
  93. 無名といふ琵琶の御琴を
  94. 上の御局の御簾の前にて
  95. ねたきもの
  96. かたはらいたきもの
  97. あさましきもの
  98. くちをしきもの
  99. 五月の御精進のほど
  100. 職におはします頃、八月よ日の
  101. 御かたがた、君たち
  102. 中納言まゐり給ひて
  103. 雨のうちはへ降るころ
  104. 淑景舎、東宮にまゐり給ふほどのことなど
  105. 殿上より、梅のみな散りたる枝を
  106. 二月つごもり頃に
  107. ゆくすゑはるかなるもの
  108. 方弘は、いみじう人に
  109. 見ぐるしきもの
  110. いひにくきもの
  111. 関は
  112. 森は
  113. 原は
  114. 卯月のつごもりがたに
  115. つねよりことにきこゆるもの
  116. 絵にかきおとりするもの
  117. かきまさりするもの
  118. 冬は、いみじうさむき
  119. あはれなるもの
  120. 正月に寺にこもりたるは
     

※上記の章段区分の底本は、三巻本に属する柳原紀光自筆本による。
 

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