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枕草子

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うつくしきもの~第一五一段

 うつくしきもの。瓜(うり)に描(か)きたるちごの顔。雀の子の、ねず鳴きするに、躍り来る。二つ三つばかりなるちごの、急ぎて這(は)ひ来る道に、いと小さき塵(ちり)のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなる指(および)にとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。頭(かしら)は尼そぎなるちごの、目に髪のおほえるを、かきはやらで、うち傾(かたぶ)きて、ものなど見たるも、うつくし。大きにはあらぬ殿上童(てんじやうわらは)の、装束(さうぞ)きたてられてありくも、うつくし。をかしげなるちごの、あからさまに抱(いだ)きて遊ばしうつくしむほどに、かいつきて寝たる、いとらうたし。

 雛(ひひな)の調度(でうど)。蓮(はちす)の浮葉(うきは)のいと小さきを、池より取り上げたる。葵(あふひ)のいと小さき。なにもなにも、小さきものは、皆うつくし。

 いみじう白く肥えたるちごの二つばかりなるが、二藍(ふたあゐ)の薄物(うすもの)など、衣長(きぬなが)にて襷(たすき)結ひたるが這ひ出でたるも、また、短きが袖がちなる着てありくも、皆なうつくし。八つ、九つ、十ばかりなどの男児(をのこご)の、声は幼げにて書(ふみ)読みたる、いとうつくし。

 鶏(にはとり)の雛(ひな)の、足高に白うをかしげに、衣(きぬ)(みじか)なるさまして、ひよひよとかしかましう鳴きて、人の後(しり)、前(さき)に立ちてありくも、をかし。また、親の、ともに連れて立ちて走るも、皆うつくし。かりのこ。瑠璃(るり)の壺。

【現代語訳】
 かわいらしいもの。瓜にかいた幼子の顔。雀の子が、人がねずみの鳴き声を真似してみせると、踊るようにしてやって来る。二、三歳くらいの幼子が、急いで這ってくる途中で、とても小さい塵のあるのを目ざとく見つけて、たいそうかわいらしい指につまんで、大人などに見せたのは、実にかわいらしい。頭をおかっぱにしている幼子が、目に髪がかぶさるのを払いもせずに、首を少しかしげて物など見ているのも、かわいらしい。大きくはない殿上童が、装束を着たてられて歩くのもかわいらしい。愛らしい幼子が、ちょっと抱いて遊ばせたりあやしたりしているうちに、しがみついて寝てしまうのは、とてもいじらしい。


 人形(遊び)の道具。蓮の浮葉のごく小さいのを、池から取り上げたもの。何もかも小さいものは皆かわいらしい。

 とても白く太った幼子で二歳ばかりなのが、二藍の薄物(の着物)など、丈が長めで、袖をたすきでくくりあげて這い出てくるのも、また短い着物で袖だけが目立って大きく見えるのを着て歩き回るのも、皆かわいらしい。八歳、九歳、十歳くらいの男の子が、幼い声で漢籍を読んでいるのは、とてもかわいらしい。

 鶏の雛が、すね長で、白くかわいらしげで、着物が短いような感じで、ぴよぴよとやかましく鳴いて、人の後ろや前に立って歩き回るのも面白い。また親が、一緒に連れ立って走るのも、皆かわいらしい。カルガモの卵もかわいらしい。瑠璃の壺もかわいらしい。
 
(注)殿上童・・・公卿の子弟で元服前に見習のために清涼殿に奉仕する少年。

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人ばへするもの~第一五二段

 人ばへするもの。ことなることなき人の子の、さすがにかなしうしならはしたる。しはぶき。はづかしき人にもの言はむとするにもまづ先に立つ。

 あなた、こなたに住む人の子の、四つ、五つなるは、あやにくだちて物取り散らし、そこなふを、引きはられ制せられて、心のままにもえあらぬが、親の来たるに所得て、「あれ見せよ。や、や。母」など、ひきゆるがすに、大人ともの言ふとて、ふとも聞き入れねば、手づからひきさがし出でて、見騒ぐこそ、いとにくけれ。それを、「まな」とも取り隠さで、「さなせそ。そこなふな」などばかり、うち笑みて言ふこそ、親もにくけれ。我はた、えはしたなうも言はで見るこそ、心もとなけれ。

【現代語訳】
 人がそばにいると調子づくもの。何ということもないつまらぬ子供で、そうはいってもやはり親が甘やかしつけているの。それから、咳。気のおける人に何か言おうとすると、まず出てくる。

 あちらこちらの局に住む人の子で、四、五歳くらいなのは、いたずら盛りで、物を散らかしたり壊したりするのを、普段は止め抑えられて思うままにできないのを、親が訪ねて来たのでいい気になって、「あれを見せてよ、ねえ、ねえ、お母さん」などと言ってゆすぶるが、大人どうしの話の最中で、急にも聞き入れてくれないので、自分で引っ張り出してきて見て騒ぐのは、実に憎らしい。それを母親が「いけません」と言って取り上げもせず、「そんなことはおよし。壊してはいけませんよ」などと笑顔を向けて言うだけなのは、親も憎らしい。自分としても、これまた、ずけずけと言うこともできずに見ているのは、いかにも気が気でない。

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苦しげなるもの~第一五七段

 苦しげなるもの。夜泣きといふわざするちごの乳母(めのと)。思ふ人二人持ちて、こなたかなたふすべらるる男。こはき物怪(もののけ)にあづかりたる験者(げんざ)。験(げん)だにいちはやからば、、よかるべきを、さしもあらず、さすがに人笑はれならじと念ずる、いと苦しげなり。わりなくもの疑ひする男に、いみじう思はれたる女。一の所などに時めく人も、え安くはあらねど、そは、よかめり。心いられしたる人。

【現代語訳】
 辛そうなもの。夜泣きをする赤ん坊の乳母。愛人を二人持ち、どちらからも嫉妬される男。頑固な物怪を受け持った験者。せめて法力が強ければよいが、そうでもなく、さすがに人の笑いものになるまいと懸命になっているのは、ひどく辛そうだ。やたらと疑い深い男に、ぞっこん惚れられた女。摂政や関白などの邸に仕え羽振りのよい家来も、気楽ではないけれども、それはまあいいだろう。気持ちがいらいらしている人。

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うらやましげなるもの~第一五八段

 うらやましげなるもの。経など習ふとて、いみじうたどたどしく、忘れがちに、返す返す同じ所を読むに、法師はことわり、男も女も、くるくるとやすらかに読みたるこそ、あれがやうにいつの世にあらむと、おぼゆれ。

 心地などわづらひて臥したるに、笑(ゑ)うち笑ひ、ものなど言ひ、思ふことなげにて歩みありく人見るこそ、いみじううらやましけれ。

 稲荷(いなり)に思ひおこして詣(まう)でたるに、中の御社(みやしろ)のほどの、わりなう苦しきを念じ登るに、いささか苦しげもなく、遅れて来(く)と見ゆる者どもの、ただ行きに先に立ちて詣づる、いとめでたし。二月 午(むま)の日の暁(あかつき)に急ぎしかど、坂のなからばかり歩みしかば、巳(み)の時ばかりになりにけり。やうやう暑くさへなりて、まことにわびしくて、など、かからでよき日もあらむものを、何しに詣でつらむとまで、涙も落ちて、休み困(ごう)ずるに、四十余ばかりなる女の、壺装束(つぼさうぞく)などにはあらで、ただ引きはこえたるが、「まろは七度詣でし侍るぞ。三度は詣でぬ。いま四度(よたび)はことにもあらず。まだ未(ひつじ)に下向しぬべし」と、道に会ひたる人にうち言ひて、下り行きしこそ、ただなる所には目にもとまるまじきに、これが身にただ今ならばやとおぼえしか。

 女児(をんなご)も、男児(をのこご)も、法師も、よき子ども持たる人、いみじううらやまし。髪いと長くうるはしく、下がりばなどめでたき人。また、やむごとなき人の、よろづの人にかしこまられ、かしづかれ給ふ、見るもいとうらやまし。手よく書き、歌よく詠みて、もののをりごとにも、まづ取りいでらるる、うらやまし。

 よき人の御前(おまへ)に女房いとあまた候ふに、心にくき所へ遣はす仰せ書きなどを、誰(たれ)も、いと鳥の跡にしもなどかはあらむ。されど、下(しも)などにあるをわざと召して、御硯(すずり)取り下ろして書かせさせ給ふも、うらやまし。さやうのことは、所の大人などになりぬれば、まことに難波(なには)わたり遠からぬも、事に従ひて書くを、これはさにあらで、上達部(かむだちめ)などの、まだ初めて参らむと申さする人の娘などには、心ことに、紙よりはじめてつくろはせ給へるを、集まりて、戯れにもねたがり言ふめり。

 琴、笛など習ふ、また、さこそはまだしきほどは、これがやうにいつしか、とおぼゆらめ。

 内裏(うち)、春宮(とうぐう)の御乳母(めのと)。上の女房の、御方々いづこもおぼつかなからず、参り通ふ。

【現代語訳】
 うらやましく見えるもの。経など習う時、たいそうたどたどしく、忘れやすくて、何度も何度も同じ箇所を読むのに、お坊さんが上手なのは当然だが、男でも女でも、すらすらと簡単に読み上げているのは、あの人のようにいつになったらなれるのだろうかと思ってしまう。

 病気が悪くなって寝ている時に、笑ったり、おしゃべりをしたり、何の苦しみもなくあちこち歩き回っている人を見るのは、たいそううらやましく感じる。

 稲荷神社に、一大決心をしてお参りしたところ、中の御社のあたりでたいそう苦しいのを我慢して登っているのに、少しも苦しそうな感じもなく、後から来た人たちが、さっさと追い抜いてお参りをするのは、いかにも颯爽としている。二月の午の日の明け方に早々と家を出たのに、坂の半分ほどを登ったところで、もう十時くらいになってしまった。だんだんと暑くさえなってきて、本当に情けなく、どうしてこんな日に、他にもっとよい日があっただろうに、何でお参りに来たのだろうかとまで思って、情けなくて涙もこぼれる始末で、疲れきって休んでいると、四十歳を過ぎたくらいの女で、壺装束といったちゃんとした外出姿ではなく、ただ着物の裾をたくし上げただけの格好なのが、「私は七度詣でをするのです。もう三度はお参りしました。あと四度くらいは大したことありません。二時頃には、もう家へ帰ります」と、途中で会った人に話して、坂を下りて行ったのは、普通の所では目にも留まらないような女だが、その時は、この女の人の身に今すぐなり代わりたいと思ってしまった。

 女の子でも男の子でも、坊さんにした子でも、出来のよい子供を何人も持っている人は、たいそううらやましい。髪がとても長くて立派で、垂れ具合などの素晴らしい女。また、身分の高い人が、皆に頭を下げられ、大事に仕えてもらっているのを見るのもとてもうらやましい。文字が上手で、歌を詠むのも上手くて、何か事があるたびに、最初に選び出されるのは、うらやましい。

 身分の高い人の御前に女房たちが大勢侍っているのに、おろそかにはできない立派な人の所に送られる代筆のお手紙などを、そういう所に仕えている女房なら誰もが、鳥の跡のような下手な字を書きはしないのだが、局に下がっている人をわざわざお呼び出しになり、ご自分の御硯を下賜されてまでお書かせになるのも、うらやましい。そういう事は、そこにお仕えする年輩の女房などになれば、たとえお習字の初歩のような悪筆の人だって、序列に従って若い女房よりも先に書くものだが、これはそうではなくて、上達部の娘とか、宮仕えをさせようとして人に仲介を頼んでいる誰かの娘などに手紙を送られるような時には、特に気を使われて、紙をはじめ何かとよい物をお揃えになるのを、ほかの女房たちは一緒になって、冗談にせよ何かと妬ましげに言うようである。

 琴や笛などを習う時もまた、それほど上達しないうちは、上手な人のようにいつになったらなれるのだろうと、思われるに違いない。

 帝や東宮の御乳母。帝におつきの女房で、方々の後宮のどこにでもお目通りが許されている人。

(注)難波わたり遠からぬも・・・「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」の歌は最も初歩の習字に用いられた。

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とくゆかしきもの~第一五九段

 とくゆかしきもの。巻染(まきぞめ)、むら濃(ご)、くくり物など染めたる。人の、子産みたるに、男、女、とく聞かまほし。よき人さらなり、えせ者、下衆(げす)の際(きは)だに、なほゆかし。除目(ぢもく)のつとめて。かならず知る人のさるべき、なきをりも、なほ聞かまほし。

【現代語訳】
 早く結果を知りたいもの。巻染。むら濃、しぼりなどを染めた時。人が子を産んだ時は、男か女かを早く聞きたい。身分の高い人は言うまでもないが、身分の低い者や下々の者の場合でも、やはり知りたい。 除目の翌朝早く。知人が任命される可能性がない時でも、やはり結果は聞きたい。

(注)除目・・・大臣以外の諸官職を任命する宮中の年中行事のこと。 任命の儀式は春と秋にあり、それぞれ「春の除目」「秋の除目」という。

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心もとなきもの~第一六〇段

 心もとなきもの。人のもとに、とみの物縫ひにやりて待つほど。物見(ものみ)に急ぎ出でて、今々とと、苦しう居入りて、あなたを目守(まも)らへたる心ち。子産むべき人の、そのほど過ぐるまで、さる気色もなき。遠き所より思ふ人の文を得て、固く封(ふん)じたる続飯(そくひ)など開くるほど、いと心もとなし。物見に遅く出でて、事成りにけり。白き楚(しもと)など見つけたるに、近く遣(や)り寄するほど、わびしう、降りても去(い)ぬべき心地こそすれ。

 知られじと思ふ人のあるに、前なる人に教へて、物言はせたる。いつしかと待ち出でたる児(ちご)の、五十日(いか)、百日(ももか)などのほどになりたる、行く末いと心もとなし。

 とみの物縫ふに、なま暗うて、針に糸すぐる。されどそれは、さるものにて、ありぬべき所をとらへて人にすげさするに、それも急げばにやあらむ、とみにもさし入れぬを、「いで、ただ、なすげそ」と言ふを、さすがに、などてかと思ひ顔に、えささぬ、にくささへ添ひたり。

 何事にもあれ、急ぎて物へ行くべきをりに、まづ我さるべき所へ行くとて、「ただ今おこせむ」とて出でぬる車待つほどこそ、いと心もとなけれ。大路(おほち)行きけるを、さななりと喜びたれば、外様(ほかざま)に去(い)ぬる、いとくちをし。まいて、物見に出でむとてあるに、「事はなりぬらむ」と人の言ひたるを聞くこそ、わびしけれ。

 子産みたる後のことの久しき。物見、寺詣でなどに、諸共(もろとも)にあるべき人を乗せに行きたるに、車をさし寄せて、とみにも乗らで待たするもいと心もとなく、うち捨てても去ぬべき心地ぞする。また、とみにて煎炭(いりずみ)おこすも、いと久し。

 人の歌の返し、とくすべきを、え詠み得ぬほども、心もとなし。懸想人(けさうびと)などは、さしも急ぐまじけれど、おのづからまた、さるべきをりもあり。まして、女も、ただに言ひかはすことは、ときこそはと思ふほどに、あいなく僻事(ひがごと)もあるぞかし。

 心地のあしく、物の恐ろしきをり、夜の明くるほど、いと心もとなし。

【現代語訳】
 じれったいもの。人の所に、急ぎの縫い物を頼んで、その出来上がりを待っている間。行列見物に急いで出かけて行って、今か今かと、車の中に窮屈に座り込んで、じっと見守っている時の気持ち。子を産む人が、予定の日を過ぎても産まれる気配がない時。遠い所にいる愛しい人から手紙を貰い、固く封をした続飯などを開ける間、とてもじれったい。行列見物に出かけるのが遅くなり、行列がもうやって来てしまって、看督長(かどのおさ)の白い杖などがちらちら見えるのに、近くに車を寄せていく間、情けなくて、いっそ車から降りて帰ってしまいたい気持ちがするものだ。

 自分が居るのを知られたくないと思う人が御簾の前にいるのに、前に座っている女房に文句を教えて、代わりに応対させている時。早く産まれないかなと待ち焦がれていた赤ん坊がやっと生まれて、五十日、百日のお祝いをするほどに育ったのは、この先の成長がいかにもじれったい。

 急ぎの着物を縫うのに、手元が薄暗い中、針に糸を通す時。しかし、それはそういうものだとして、針穴と思しき箇所を押さえて人に糸を通してもらうのに、相手も急いでいるからか、すぐに通すことができなくて、「もう結構です、もう通さなくても結構です」と言うのだけれど、さすがに、何とかしたいと思う顔つきで頑張っているのに糸が通らない、こんな時は、相手が憎らしくさえなる。

 何事であれ、急いで出かけることになっている時に、先に自分がどこぞへ行く用があるといって、「すぐにお返ししますから」と言い残して出て行った車を待つのは、とてもじれったい。外の大路に車の音がするので、帰ってきたかと喜んだのだが、よそに去って行くのは、全く悔しいものだ。まして、行列見物に出かけようとしている時に、「行列はもうやって来たでしょう」と人が言ったのを聞く気持ちは、何とも情けない。

お産の後、後産(胎盤など)がなかなか下りない時。行列見物やお寺参りなどに、一緒に行く人を乗せに行ったのに、車を横につけて、すぐには乗らないで待つのも気が気でなく、このまま打ち捨てて行ってしまいたい気持ちがする。また、急いでいり炭を起こすのも、暇がかかってもどかしい。

 人からの歌の返歌を、早くしなければならないのに、うまく歌が詠めない時も、じれったい。相手が恋人などの時は、そんなに急がなくてもよいだろうけれど、それでも時には早く返歌しなくてはならない場合もある。まして、女同士でも、普段のやり取りの時には、早いのがとりえだと思っているから、とんでもない間違いを書いてしまうこともあるものだ。

 病気で、物の怪が恐ろしい時、夜が明けるまでの間は、とても気が気でない。

(注)続飯・・・飯粒を練って作った糊。
(注)事成りぬ・・・行列がやって来たことをいう、当時の成語。
(注)白き楚・・・行列の警備のため、検非違使の看督長(かどのおさ)が持つ白い杖。

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女の一人住む所は~第一七八段

 女の一人住む所は、いたくあばれて、築土(ついひぢ)などもまたからず、池などあるところも、水草(みくさ)ゐ、庭なども、蓬(よもぎ)に茂りなどこそせねども、所々、砂子(すなご)の中より青き草うち見え、淋しげなるこそ、あはれなれ。ものかしこげに、なだらかに修理(すり)して、門(かど)いたく固め、きはぎはしきは、いとうたてこそおぼゆれ。

【現代語訳】
 女が一人で住む所は、ひどく荒れ果てて、築地塀などもきちんとしておらず、池などがある所も水草が生え、庭なども蓬が茂りこそしないまでも、所々、砂利の中から青い草がのぞき、淋しげな様子なのが、風情があっていい。いかにもしっかり者のように、体裁よく手入れして、門を固く戸締りして、すべてが几帳面に整えられているのは、とても嫌な感じがする。
 

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宮仕へ人の里なども~第一七九段

 宮仕へ人の里なども、親ども二人あるは、いとよし。人しげく出で入り、奥の方(かた)にあまた声々さまざま聞え、馬の音などして、いと騒がしきまであれど、とがもなし。されど、忍びてもあらはれても、おのづから、「出でたまひにけるを、え知らで」とも、また、「いつかまゐり給ふ」など言ひに、さしのぞき来るもあり。心かけたる人はた、いかがは。門(かど)あけなどするを、うたて騒がしうおほやうげに、夜中までなど思ひたるけしき、いとにくし。「大御門(おほみかど)は、さしつや」など問ふなれば、「今。まだ人のおはすれば」など言ふ者の、なまふせがしげに思ひて答(いら)ふるにも、「人出で給ひなば、疾(と)くさせ。このころ、盗人(ぬすびと)いと多かなり。火危ふし」など言ひたるが、いとむつかしう、うち聞く人だにあり、この人の供なる者どもは、わびぬにやあらむ、この客(かく)今や出づると、絶えずさしのぞきてけしき見る者どもを、笑ふべかめり。真似(まね)うちするを聞かば、ましていかにきびしく言ひとがめむ。いと色に出でて言はぬも、思ふ心なき人は、必ず来(き)などやはする。されど、すくよかなるは、「夜更けぬ。御門(みかど)危ふかなり」など笑ひて、出でぬるもあり。まことに志ことなる人は、「早(はや)」など、あまたたびやらはるれど、なほ居明(ゐあか)せば、たびたび見ありくに、明けぬべきけしきを、いとめづらかに思ひて、「いみじう、御門(みかど)を今宵(こよひ)らいさうとあけひろげて」と聞えごちて、あぢきなく、暁にぞ、さすなるは、いかがはにくきを、親添ひぬるは、なほさぞある。まいて、まことのならぬは、いかに思ふらむとさへ、つつまし。兄(せうと)の家なども、けにくきは、さぞあらむ。

 夜中、暁ともなく、門いと心かしこうももてなさず、何の宮、内裏(うち)わたり、殿ばらなる人々も出であひなどして、格子なども上げながら冬の夜を居明して、人の出でぬる後も見出したるこそ、をかしけれ。有明などはまして、いとめでたし。笛など吹きて出でぬる名残は、急ぎても寝られず、人の上ども言ひあはせて、歌など語り聞くままに寝入りぬるこそ、をかしけれ。

【現代語訳】
 宮仕えをしている女房の里(実家)に、親が二人揃っているのはとてもよい。人が頻繁に出入りして、奥の方で大勢の色んな声が聞こえ、馬の音もして、とても騒がしいほどだが、それは問題でもない。しかし、人目を忍んでも公然でも、自然と、「里にお下がりなのを知りませんで」とか、「いつ御所にお戻りですか」などと言いに、少しだけ顔を出す者もある。恋人であれば、当然やって来る。そんな人のために門を開けたりすると、騒いで大げさになり、こんな夜中になどと家人が思っている様子は、とても憎らしい。「表門は閉めたか」などと尋ねると、「今、閉めます。でもまだお客さんがいらっしゃいますから」などと召使いが迷惑そうに答えるのも、「お帰りになったらすぐ閉めなさい。最近は、盗人がとても多いようだ。火も危ないから」などと言うのを、聞いていてとても不快に思う客もある。客のお供の者どもはうんざりしないのだろうか。もう帰るだろうかと、始終覗いて様子を見る召使いどもを、笑っているようだ。口真似をしているのを聞いたら、更にうるさく言い咎められるだろう。はっきりと愛情の告白をしなくても、好意を持たない人が、こんな時間にわざわざやって来ようか。しかし、生真面目な人は、「夜も更けた。御門が危ないようですから」などと笑って帰ってしまう人もいる。本当に愛情が深い人は、「早くお帰りください」と何度も急き立てられても、座り込んで夜を明かす。召使いがたびたび見回るうちに、夜も明けそうなのを、珍しい客だと思って、「ひどいなあ、今夜は御門を広々と開け広げて」と聞こえよがしに言い、面白くなさそうに明け方に閉めているのは、とても憎らしいが、親との同居はやはりそのようなものだ。まして、実の親でない場合は、どう思っているだろうかと気兼ねする。兄の家などでも無愛想なのは同じようなものだろう。

 夜中、明け方を問わず、門をしっかりと閉めず、どこかの宮様、宮中、その周辺に仕えている女房たちも、一緒に応対に出てきたりして、格子なども上げたまま、冬の夜を座り明かして、客が帰った後にも庭を眺めている、これは風情がある。有明の月の時などは、いっそう素晴らしい。客が笛など吹きながら帰っていった後は、気持ちが高ぶって、すぐには眠る気にもなれず、人々の噂話などを言い合って、歌などを話したり聞いたりしているうちに、寝入ってしまう、こういうのが面白い。
 

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宮に初めて参りたるころ~第一八四段

(一)
 宮に初めて参りたるころ、ものの恥づかしきことの数知らず、涙も落ちぬべければ、夜々参りて、三尺の御几帳(みきちやう)の後ろにさぶらふに、絵など取りいでて見せさせ給ふを、手にてもえさしいづまじうわりなし。「これは、とあり、かかり。それが、かれが」などのたまはす。高坏(たかつき)に参らせたる大殿油(おほとなぶら)なれば、髪の筋なども、なかなか昼よりも顕証(けそう)に見えてまばゆけれど、念じて見などす。いと冷たきころなれば、さし出でさせたまへる御手のはつかに見ゆるが、いみじうにほひたる薄紅梅(うすこうばい)なるは、限りなくめでたしと、見知らぬ里人ごこちには、かかる人こそは世におはしましけれど、驚かるるまでぞ、まもり参らする。

 暁(あかつき)には疾(と)く下りなむと急がるる。「葛城(かつらぎ)の神も、しばし」など仰せらるるを、いかでかは筋かひ御覧ぜられむとて、なほ臥したれば、御格子(みかうし)も参らず。女官(にようくわん)ども参りて、「これ、放たせたまへ」など言ふを聞きて、女房の放つを、「まな」と仰せらるれば、笑ひて帰りぬ。

 物など問はせたまひ、のたまはするに、久しうなりぬれば、「下(お)りまほしうなりにたらむ。さらば、はや。夜さりは疾く」と仰せらる。ゐざり帰るや遅きと上げ散らしたるに、雪降りにけり。登花殿(とうくわでん)の御前は立蔀(たてじとみ)近くて狭(せば)し。雪いとをかし。

【現代語訳】
 中宮様の御所に初めてご奉公に参上したころは、何かにつけて恥ずかしいことが数知れずあり、涙が落ちてしまいそうなので、昼には参上せず、いつも夜に参上して、三尺の御几帳の後ろに控えていると、中宮様は絵などを取り出して見せてくださるが、私はろくに手を差し出すこともできないほどどうしようもない気持ちでいた。「この絵は、ああです、こうです、それが、あれが」などと中宮様はおっしゃる。高坏を逆さにした上にお灯しした御燈火が明るく、髪の毛の筋などもかえって昼よりはっきり見えて恥ずかしいけれど、じっとこらえて見などする。ひどく冷える時期なので、差し出された中宮様のお手が袖口からわずかに見えるのが、とても艶やかで薄紅梅色で、この上なくすばらしいと、そしてはなやかな宮中を知らない里人である私の心には、このようなすばらしいお方もこの世にはいらっしゃるのだと目が覚めるほどの気持ちがして、じっとお見つめ申し上げる。


 明け方になると早く退出しようと自然に気が急いてくる。中宮様は「葛城の神のように夜にしか姿を見せないそなたでも、もうしばらくはいいでしょう」などとおっしゃるが、何とかして斜めからでも顔を御覧に入れずすませたいと思い、そのまま伏せているため、まだ御格子もお上げしていない。女官たちが参上して、外から「御格子をお上げくださいませ」と言うのを聞き、女房が内から上げようとすると、中宮様が「いけません」とおっしゃり、女房は笑いながら帰っていった。

 中宮様は何かと私にお尋ねになり、お話なさったりするうちに、だいぶ時間がたったので、「もう退出したいでしょう。それでは早くお下がり。でも、夜は早くいらっしゃい」とおっしゃる。
中宮様の御前を座ったまま下がるとすぐに格子戸が上げられ、見ると、外には雪が降っていた。この登花殿の前のお庭には立蔀が近くにめぐらしてあるので狭い。しかし、その雪景色はとても趣がある。
 
(注)高坏・・・食器を載せる台。それを逆さにして燈火の皿を置いた。
(注)登花殿・・・後宮の建物の一つで、当時は中宮定子がおられた。
(注)立蔀・・・格子の裏側に板を張って目隠しにしたもの。

(二)
 昼つ方(かた)、「今日(けふ)は、なほ参れ。雪に曇りて、あらはにもあるまじ」など、たびたび召せば、この局(つぼね)の主(あるじ)も、「見苦し。さのみやは籠(こも)りたらむとする。あへなきまで御前(おまへ)許されたるは、さおぼしめすやうこそあらめ。思ふに違(たが)ふは、憎きものぞ」と、ただ急がしに出だし立つれば、あれにもあらぬここちすれど、参るぞ、いと苦しき。火焼屋(ひたきや)の上に降り積みたるも、めづらしうをかし。

 御前近くは、例の炭櫃(すびつ)に火こちたくおこして、それには、わざと人も居ず。上臈(じやうらふ)、御まかなひにさぶらひたまひけるままに、近う居たまへり。沈(ぢん)の御火桶の梨絵(なしゑ)したるにおはします。次の間に、長炭櫃に隙(ひま)なく居たる人々、唐衣(からぎぬ)脱ぎたれたるほどなど、慣れ安らかなるを見るも、いとうらやまし。御文取次ぎ、立ち居、行き違ふさまなどの、つつましげならず、物言ひ、ゑ笑ふ。いつの世にかさやうに交らひならむと思ふさへぞ、つつましき。奥(あう)寄りて、三四人(みたりよたり)さしつどひて、絵など見るもあめり。

【現代語訳】
 お昼ごろ、中宮様から「今日はやはり昼も参上しなさい。雪で曇っているから、そう丸見えでもないでしょう」などと、たびたびお呼び出しがあるので、ここの局の古参格の女房も、「見苦しいですよ。どうしてそのように引き籠ってばかりいようとするのですか。あれほど容易に中宮様が御前への伺候を許されたのは、そう思われるわけがおありなのでしょう。ご好意にそむくのはよくありませんよ」と言って、しきりに出仕させようとするので、自分を失ってしまう心地がするが、参上するのが辛い。火焼屋の屋根の上に雪が積もっているのも珍しくて面白い。


 中宮様の御前近くには、いつものようにいろりに火をたくさんおこして、そこにはとくに誰も座っていない。上席の女房たちが中宮様のお世話をするため伺候なさっているので、お側近くに座っておられる。中宮様は沈のお火鉢で梨地の蒔絵(まきえ)が描かれているのに向かっていらっしゃる。次の間には長いいろりのそばにすき間なく並んで座っている女房たちが、唐衣をゆったりたらして着ている様子などが、いかにも慣れた感じで気楽そうに見えて、とてもうらやましく思う。お手紙を取り次いだり、立ったり座ったり、行き交うさまが遠慮ない様子で、平気で物を言い、笑いあったりする。いつになったら、自分もあのように仲間入りができるのだろうかと、それを思うだけでも気が引ける。奥の方に下がって、三、四人集まって絵などを見ている女房もいるようだ。

(三)
 しばしありて、前駆(さき)高う追ふ声すれば、「殿(との)参らせたまふなり」とて、散りたるもの取りやりなどするに、いかで下りなむと思へど、さらにえふとも身じろかねば、今少し奥に引き入りて、さすがにゆかしきなめり、御几帳(みきちやう)のほころびよりはつかに見入れたり。

 大納言殿の参りたまへるなりけり。御直衣(なほし)、指貫(さしぬき)の紫の色、雪に映えていみじうをかし。柱もとに居たまひて、「昨日(きのふ)今日(けふ)、物忌みにはべりつれど、雪のいたく降りはべりつれば、おぼつかなさになむ」と申したまふ。「道もなしと思ひつるに、いかで」とぞ御答(いら)へある。うち笑ひたまひて、「あはれともや御覧ずるとて」などのたまふ、御有様ども、これより何事かはまさらむ。物語にいみじう口に任せて言ひたるに違(たが)はざめりと覚ゆ。

 宮は、白き御衣(ぞ)どもに紅(くれなゐ)の唐綾(からあや)をぞ上に奉りたる。御髪(みぐし)のかからせたまへるなど、絵に描(か)きたるをこそ、かかることは見しに、うつつにはまだ知らぬを、夢のここちぞする。女房と物言ひ、戯(たはぶ)れ言などしたまふ。御答へを、いささか恥づかしとも思ひたらず、聞こえ返し、そら言などのたまふは、あらがひ論じなど聞こゆるは、目もあやに、あさましきまで、あいなう、面(おもて)ぞ赤むや。御くだ物参りなど、取りはやして、御前にも参らせたまふ。

【現代語訳】
 しばらくして、高らかに先払いをかける声がして、女房たちが、「関白殿(藤原道隆)が参上されたようです」と言い、散らかっている物を片づけ出したので、私は何とかして退出しようと思ったが、全く素早く動けず、もう少し奥に引っ込んだものの、やはり見たかったのだろう、御几帳の縫い目のすき間から、わずかに覗き見た。


 しかし、それは関白殿ではなく大納言殿(藤原伊周)だった。着ていらっしゃる御直衣や指貫の紫の色が、白い雪に映えてとても美しい。大納言殿は柱の側にお座りになって、「昨日から今日にかけては、物忌みで外出もしないでいましたが、雪がひどく降り、こちらが気がかりで参上いたしました」と申された。中宮様は「古歌に『雪降り積みて道もなし』と詠まれているとおり、道もございませんでしたでしょうに、どうしてまあ」とご挨拶なさる。大納言殿は微笑まれて、「その古歌のとおり、こんなときに参ってきた私を、殊勝な者と思って下さるかと存じまして」などとおっしゃる。こうしたお二人の御ようすは、これにまさるものはないほどだ。物語で、作者が口をきわめて褒めて言うのと違わないと思う。

 中宮様は、白いお召し物を重ねて着られ、その上に紅の唐綾をお召しになっている。それにお髪(ぐし)がかかっておられるさまは、絵でこそ見はしたものの現実には見たこともなかったので、夢のような心地がする。大納言殿は女房に話しかけ、冗談などを口にされる。女房たちは少しも気おくれした様子もなくお返事し、大納言殿が嘘などをおっしゃると、それに逆らって抗弁など申し上げるさまは、私の目にはまぶしく、あまりのことにやたらに赤面してしまうほどだ。大納言殿はお菓子を召し上がり、座を取り持つように、中宮様にも差し上げられる。

(四)
 「御帳(みちやう)の後ろなるはたれぞ」と問ひたまふなるべし。さかすにこそはあらめ、立ちておはするを、なほほかへにやと思ふに、いと近う居たまひて、物などのたまふ。まだ参らざりしより聞き置きたまひけることなど、「まことにや、さありし」などのたまふに、御几帳隔てて、よそに見やり奉りつるだに恥づかしかりつるに、いとあさましう、さし向かひ聞こえたるここち、うつつとも覚えず。行幸(ぎやうがう)など見るをり、車の方(かた)にいささかも見おこせたまへば、下簾(したすだれ)引きふたぎて、透き影もやと、扇をさし隠すに、なほいとわが心ながらもおほけなく、いかで立ち出でしにかと、汗あえていみじきには、何事をかは答(いら)へも聞こえむ。

 かしこき陰とささげたる扇をさへ取りたまへるに、振り掛くべき髪の覚えさへあやしからむと思ふに、すべてさるけしきもこそは見ゆらめ。疾く立ちたまはなむと思へど、扇を手まさぐりにして、絵のこと、「誰(た)が描(か)かせたるぞ」などのたまひて、とみにも賜はねば、そでを押し当ててうつぶしゐたり、裳(も)・唐衣に白いもの移りて、まだらならむかし。

 久しく居たまへるを、心なう、苦しと思ひたらむと心得させたまへるにや、「これ見たまへ。これは誰(た)が手ぞ」と聞こえさせたまふを、「賜はりて見はべらむ」と申したまふを、なほ、「ここへ」とのたまはす。「人をとらへて立てはべらぬなり」とのたまふも、いと今めかしく、身のほどに合はず、かたはらいたし。人の草仮名(さうがな)書きたる草子(さうし)など、取り出でて御覧ず。「誰(たれ)がにかあらむ。かれに見せさせたまへ。それぞ、世にある人の手は皆知りてはべらむ」など、ただ答(いら)へさせむと、あやしきことどもをのたまふ。

【現代語訳】
 「御几帳の後ろにいるのは誰か」と大納言殿がお尋ねになっているご様子だ。そして興味を示されたのだろう、立ち上がってこちらに来られるのを、その時もまだ他へ行かれるのだと思っていると、何と私のすぐ目の前にお座りになり、話しかけてこられる。私がまだ宮仕えに上がる前から聞き及んでいらっしゃった噂などを、「本当に、そうだったのか」などとおっしゃるので、私は御几帳を隔てて遠くから拝見していたのでさえ恥ずかしかったのに、こうして驚くほど間近に対座している心地は、現実と思われない。行幸などを見物する折は、私の車に少しでも目を向けられると、あわてて下簾を閉ざし、それでもこちらの人影が透けて見えやしないかと扇で顔を隠すほどなのに、いくら自分から思い立った宮仕えとはいえ、身分不相応で厚かましく、どうして来てしまったのかと冷や汗が流れて苦しい、そんな自分がいったい何をお答えできようか。


 頼みの陰とささげ持った扇までも取り上げられ、あとは髪を額にたらしかけて顔を隠すしかないが、その髪の感じまでもがさぞお見苦しいことと思い、そう恥じている様子までも見られているだろう。早くお立ち去りになってほしいと思うのに、大納言殿は、私の扇を手でもてあそびながら、その扇の絵について、「誰が描かれたのか」などとおっしゃり、すぐにも返して下さらないので、私は袖を顔に当ててうつむいていたが、裳や唐衣におしろいがついて、さぞ顔もまだらになっただろう。

 大納言殿が長く私のそばにいらっしゃるのを、大納言殿の思いやりのなさに私が困っているだろうと中宮様がお察し下さったのだろうか、「これを御覧下さい。どなたの筆跡でしょうか」と申されたのを、大納言殿は「こちらに頂いて拝見しましょう」と申されたのを、中宮様はさらに「こちらへ」とおっしゃる。すると大納言殿は、「この人が私をつかまえて立たせないのです」とおっしゃるのも、ひどく色めいたおっしゃりようで、私の身の程からは突拍子もないことで、きまりの悪さといったらない。中宮様は、誰かが草仮名で書いた冊子などを取り出して御覧になる。すると大納言殿は、「誰の筆跡でしょうか。彼女にお見せなさいませ。彼女なら世にある人の筆跡はすべて見知っておりましょう」などと、とにかく私に返答させようと、とんでもないことをおっしゃる。

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五月ばかりなどに~第二二三段

 五月ばかりなどに、山里にありく、いとをかし。草葉も水もいと青く見えわたりたるに、上はつれなくて、草生ひ茂りたるを、長々と縦(たた)ざまに行けば、下はえならざりける水の、深くはあらねど、人などの歩むにはしりあがりたる、いとをかし。

 左右(ひだりみぎ)にある垣にある、ものの枝などの、車の屋形(やかた)などにさし入るを、急ぎてとらへて折らむとするほどに、ふと過ぎてはづれたるこそ、いとくちをしけれ。

 蓬(よもぎ)の、車に押しひしがれたりけるが、輪の廻りたるに、近ううちかかりたるも、をかし。

【現代語訳】
 五月のころに、山里に出かけるのはとても楽しい。草葉も田の水もたいそう青々として一面に見渡されるが、表面はさりげなく生い茂っている所を、牛車でぞろぞろとまっすぐに行くと、草の下には何ともいえずきれいな水が、深くはないが溜まっていて、従者などが歩くとしぶきが飛び散るのが愉快だ。


 道の左右の生垣に植えられた何かの木の枝などが、車の屋形などに入るのを、急いで折り取ろうとしたら、さっと通り過ぎて手元から外れてしまったのが、実に残念だった。

 よもぎの、車輪に敷かれて押しつぶされたのが、車輪が回るのにつれて、近くに匂ったのも楽しかった。

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八月つごもり~第二二七段

 八月つごもり、太秦(うづまさ)に詣(まう)づとて、見れば、穂(ほ)に出でたる田を人いと多く見騒ぐは、稲刈るなりけり。早苗(さなへ)取りしかいつのまに、まことに先(さい)つころ賀茂(かも)へ詣づとて見しが、あはれにもなりにけるかな。これは男(をのこ)どもの、いと赤き稲の本(もと)ぞ青きを持たりて刈る。何にかあらむして、(もと)本を切るさまぞ、やすげに、せまほしげに見ゆるや。いかで、さすらむ。穂をうち敷きて並みをるも、をかし。庵(いほ)のさまなど。

【現代語訳】
 八月(陰暦)の末、太秦に参詣するというので出かけてみると、稲穂が実った田を大勢の人が見て騒いでいるのは、ちょうど稲刈りをするところだった。ついこの前早苗を取ったのに、いつの間に、本当についこの前、賀茂を参詣するときに見た田が、何ともう収穫の時期になってしまった。今度は男たちが、とても赤い稲の根元だけ青いのをつかんで刈っている。何か分からない道具で根元を刈るようすは、簡単そうで、いかにも自分もやってみたくなる。どうしてそうするのか、刈り取った穂を地面に並べ置くのも興味深い。番小屋の様子も。
 

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九月二十日あまりのほど~第二二八段

 九月二十日あまりのほど、初瀬(はせ)に詣(まう)でて、いとはかなき家に泊まりたりしに、いと苦しくて、ただ寝(ね)に寝入りぬ。夜ふけて、月の窓より漏りたりしに、人の臥したりしどもが衣(きぬ)の上に、白うて映りなどしたりしこそ、いみじうあはれとおぼえしか。さやうなるをりぞ、人、歌詠むかし。

【現代語訳】
九月二十日くらいのこと、初瀬寺にお参りして、途中、とても小さな家に泊まったが、たいへん疲れていたので、ただもうぐっすり寝入ってしまった。夜が更けて、月の光が窓の隙間からもれてきて、他の人たちがかぶって寝ている衣の上を、そこだけ白く浮かび上がらせているのが、たいそう趣き深く感じられた。そんな時にきっと、人は歌を詠むのだ。 

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万葉集・竹取物語・枕草子などの原文と現代語訳。

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伝本について

 『枕草子』の伝本はきわめて多く、本によって章段の分量や順序が異なっている。これを系統的に整理すると次の4系統になる。
 
伝能因本系統
 本文の奥書に、「能因が本と聞けばむげにはあらじと思ひて書写してさぶらふぞ」とあり、清少納言と姻戚関係にあった能因法師が伝来に関係したとされる系統。江戸時代以後によく流布した。北村季吟の春曙本はこれを底本とし、語句の不明な個所は三巻本によって校訂したもの。この系統のものは、段の順序が分類された様子が見えないため、雑纂型といわれる。
 
三巻本系統
 上中下三巻からなるためこの名称がある。その奥書に、「安貞二年三月耄及愚翁(ぼうきゅうぐおう)」とある。耄及愚翁は藤原定家ではないかとされる。「春はあけぼの」以下「あぢきなきもの」までを欠くのを第一類本とし、全部備わっているものを第二類本とする。「文意あざやかにて」解読しやすく、最も古態に近いと考えられている。
 
堺本系統
 類纂型の室町時代の伝本。泉州堺に住む道巴という人物が所持していた本を、元亀元年(1570年)に清原枝賢が書写したとの奥書がある。この系統の本には、回想の部分と跋文が欠けているのが特色。

前田家本
 加賀国・前田家の伝来本。鎌倉中期の筆写になるもので、上記の能因本、三巻本、堺本の系統にはない章段を含んでいる。記事の性質によって部類分けされており、順序がほかの系統と異なっている(類纂型)。

 これら伝本間の相異はきわめて大きく、たとえば、「三巻本」と「能因本」とでは、作者を別人とするしかないほどの違いがある、との指摘がある。また、古典文学の本文校訂は、できる限り古い写本を底本(基準とする本文)にに用い、『枕草子』の伝本のなかで最古とされるのは前田本であるが、現在においては「三巻本」を底本として読まれている。「前田本」の類纂形態の内容が作者の清少納言の手によるものではなく、後人の手によってまとめられたものとされていることによる。「堺本」も同様の理由により、一般に読まれる本文として使われることはまずない。

清少納言の略年譜

966年
清女、この年に生まれる?

976年
定子が藤原道隆の長女として生まれる

981年
清女、この年に橘則光と結婚?

982年
清女、則長を産む

986年
一条天皇即位

989年
道隆が内大臣に

990年
道隆の娘、定子が入内

990年
道隆が関白、摂政に
定子が中宮に

990年
清女の父・元輔が任国肥後で死去

993年
清女、定子のもとへ宮仕え

994年
定子の兄・伊周が内大臣に

995年
道隆が病死
道隆の弟の藤原道長が内大臣、氏長者に

996年
伊周・隆家の従者が花山院に矢を射る事件が起こる
伊周が大宰府に、弟の隆家が出雲に左遷される
定子が落飾
定子が第一皇女を出産

997年
伊周・隆家が罪を許されて召還

999年
道長の長女・彰子が入内
定子が第一皇子を出産

1000年
定子が皇后、彰子が中宮に
定子が第二皇女を出産
定子が死去

1001年
清女、この年に宮仕えを辞去か?
その後、摂津守・藤原棟世(ふじわらのむねよ)と結婚、一女をもうける
晩年は孤独で、京都郊外の月の輪でひっそり暮らしたという

1025年
清女、このころ死去か?

『枕草子』の各段③

  1. よくたきしめたる薫物の
  2. 月のいと明かきに
  3. おほきにてよきもの
  4. 短くてありぬべきもの
  5. 人の家につきづきしきもの
  6. ものへ行く路に
  7. よろづのことよりも
  8. 細殿にびんなき人なん
  9. 三条の宮におはしますころ
  10. 御乳母の大輔の命婦
  11. 清水にこもりたりしに
  12. 駅は
  13. 社は
  14. 蟻通の明神
  15. 一条の院をば今内裏とぞいふ
  16. 身をかへて、天人などは
  17. 雪高う降りて
  18. 細殿の遺戸を
  19. 岡は
  20. 降るものは
  21. 雪は、檜皮葺
  22. 日は
  23. 月は
  24. 星は
  25. 雲は
  26. さわがしきもの
  27. ないがしろなるもの
  28. ことばなめげなるもの
  29. さかしきもの
  30. ただ過ぎに過ぐるもの
  31. ことに人に知られぬもの
  32. 文言葉なめき人こそ
  33. いみじうきたなきもの
  34. せめておそろしきもの
  35. たのもしきもの
  36. いみじうしたてて婿とりたるに
  37. 世の中に、なほいと心憂きものは
  38. 男こそ、なほいとありがたく
  39. よろづのことよりも情あるこそ
  40. 人の上言へいふを腹立つ人こそ
  41. 人の顔に、とり分きて
  42. 古代の人の指貫着たるこそ
  43. 十月十よ日の月の
  44. 成信の中将こそ、人の声は
  45. 大蔵卿ばかり耳とき人はなし
  46. うれしきもの
  47. 御前にて人々とも
  48. 関白殿、二月廿一日に
  49. たふときこと
  50. 歌は
  51. 指貫は
  52. 狩衣は
  53. 単は
  54. 下襲は
  55. 扇の骨は
  56. 檜扇は
  57. 神は
  58. 崎は
  59. 屋は
  60. 時奏する、いみじうをかし
  61. 日のうらうらとある昼つかた
  62. 成信の中将は、入道兵部卿の宮の
  63. つねに文おこする人の
  64. 今朝はさしも見えざりつる空の
  65. きらきらしきもの
  66. 神のいたう鳴るをりに
  67. 坤元録の御屏風こそ
  68. 節分違などして
  69. 雪のいと高う降りたるを
  70. 陰陽師のもとなる小わらはべこそ
  71. 三月ばかり、物忌しにとて
  72. 十二月廿四日、宮の御仏名の
  73. 宮仕する人々の出で集りて
  74. 見ならひするもの
  75. うちとくまじきもの
  76. 日のいとうららかなるに
  77. 右衛門の尉なりける者の
  78. 小原の殿の御母上とこそは
  79. また、業平の中将のもとに
  80. をかしと思ふ歌を
  81. よろしき男を下衆女などのほめて
  82. 左右の衛門の尉を
  83. 大納言殿参り給ひて
  84. 僧都の御乳母のままなど
  85. 男は、女親亡くなりて
  86. ある女房の、遠江の子なる人を
  87. びんなき所にて
  88. まことにや、やがては下ると
  89. この草子、目に見え心に思ふ事を

※底本は、三巻本に属する柳原紀光自筆本による。なお「一本」として他本から転載した29段は割愛した。
本によって章段の分量や順序が異なっている。
 

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