徳川家康が、まだ岡崎城主だったころのお話です。家康は狩りをするのが大好きでした。三河領内に自分専用の狩り場を設け、他の者がそこで狩りをするのを固く禁じていました。ところが、あるとき、その場所で無断で鴨や魚を獲った二人の足軽が捕えられ、近々斬首されることになったのです。たかが鴨のことで死罪にするとはやり過ぎではないかとの声も上がりましたが、家康に意見する者はいません。
いっぽう、そのころ岡崎城内では、大切なお客をもてなすために、生簀(いけす)で大きな鯉を三尾飼っていました。ところが、鈴木久三郎という家来が、そのうちの一尾を料理させ、織田信長から贈られた酒一樽とともに、仲間にも与えて飲み食いしてしまったのです。
これが家康の知るところとなり、家康は烈火のごとく怒りました。久三郎を庭に呼び出し、「おのれ不届き者、手討ちにしてくれる」と、仁王立ちになって太刀を引き抜きました。しかし、庭先に控えていた久三郎は全く恐れる気配を見せず、家康に向かって言い返しました。
「そもそも殿は、鳥や魚と人の命とどちらが大事とお思いか。そのようなお心掛けでは、とても天下取りの望みは叶いませぬぞ。さあ、斬るならお斬りなされ」
と諸肌脱いで前に進み出ました。これを聞いて家康は、はっとしました。この男は、自分の狩り場で鳥獣を獲った者を処刑するのを諌(いさ)めようとしている。それでわざと生簀の鯉を食ったのだ、と。
家康は捕らえていた二人を赦免し、その後久三郎を呼び出して礼を述べました。
「お前の言わんとするところはよく分かった。命懸けの諌言、うれしく思う」
久三郎は、感激のあまり男泣きに泣きました。
その後、三方ヶ原の戦いで、徳川軍は武田信玄の軍に敗れ、総崩れとなりました。この時、久三郎は家康の身代わりとなろうとしましたが、家康は家臣を死なせて自分だけが落ち延びるのを拒みました。久三郎は怒り、家康から軍配を奪い取って一人敵陣に取って返しました。この後、彼は無事に生還したといいます。
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