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実語教

 『実語教(じつごきょう)』は、経書中の格言を抄録して、たやすく朗読できるようにした子どものための教訓書です。平安時代末期に普及し始め、作者未詳ですが、俗に弘法大師の作といわれます。江戸時代には、寺子屋で手習いや素読の教科書として広く用いられていました。全一巻。

実語教

実語教

山高きが故(ゆゑ)に貴(たっと)からず。樹(き)有るを以(もっ)て貴しと為(な)す。人肥えたるが故に貴からず。智(ち)有るを以て貴しと為す。

山は高いから尊いのではなく、木々が生い茂っているから尊い。人は裕福だから偉いのではなく、智恵があってこそ偉いのである。

(とみ)は是(これ)一生の財(たから)。身(み)(めっ)すれば即(すなは)ち共に滅す。智は是(これ)万代(ばんだい)の財。命(いのち)終れば即ち随(したがつ)て行く。

財産は一生の宝であるが、自分が亡くなってしまえば同時に失われる。しかし、智恵は永遠の宝であり、その人が亡くなっても後世へ受け継がれていく。

(たま)(みが)かざれば光無し。光無きを石瓦(いしがはら)と為(な)す。人学ばざれば智(ち)無し。智無きを愚人(ぐじん)と為す。

宝石は磨かなければ光り輝くことはない。光り輝かない宝石を石瓦という。人も学ばなければ智恵が備わることはない。智恵が備わっていない人を愚か者という。

(くら)の内の財(ざい)は朽(く)つること有り。身の内の才(さい)は朽つること無し。

倉の中にある財産は朽ちてしまうことはあるが、身に備わる才能は朽ちてしまうことはない。

千両の金を積むと雖(いへど)も、一日の学に如(し)かず。

たとえ多くのお金を蓄えたとしても、一日学問をしたことには及ばない。

兄弟(けいてい)は常に合はず。慈悲(じひ)を兄弟と為(な)す。

兄弟は共に父母から生まれたものであるが、常に仲がよいとは限らない。互いに思いやる慈悲の心があれば、あらゆる人々を兄弟とすることができる。

財物は永(なが)く存(そん)せず。才智(さいち)を財物と為(な)す。

財物はいつまでもあるものではないので、身に備わる才能や智恵を自らの財物とする。

四大(しだい)日々衰へ、心神(しんしん)夜々(やや)に暗し。幼(いとけな)き時に勤め学ばざれば、老いて後に恨(うら)み悔(く)ゆと雖(いへど)も、尚(なほ)益する所(ところ)有ること無し。

心身は日々衰え、精神も次第に暗くなっていく。若い時から学問に励まなければ、年老いてから後悔しても何ら益する所がない。(「四大」・・・仏教用語で、万物を構成する地・水・火・風の四つの要素。この四つが集まって人の身をなすとされる。)

(ゆゑ)に書を読みて倦(う)むこと勿(なか)れ。学文(がくもん)に怠る時勿れ。眠りを除きて通夜(よもすがら)(じゅ)せよ。飢(う)ゑを忍びて終日(ひねもす)習へ。

故に書物を読んで途中で飽きてしまうことがあってはならない。学問を怠る時があってはならない。寝る間を惜しみ、空腹になっても一日中勉強せよ。

師に会ふと雖(いへど)も学ばざれば、徒(いたづ)らに市人(いちびと)に向ふが如(ごと)し。

立派な師に出会ったとしても自分に学ぶ気持ちがなければ、それはただ市中に住む見知らぬ人と向かい合うようなものである。

習ひ読むと雖(いへど)も復(ふく)さざれば、ただ隣の財を計(かぞ)ふるが如(ごと)し。

学問や読書をしても復習することがなければ、それはただ隣家の財産がどれほどあるのだろうと推し量るようなものである。

君子(くんし)は智者(ちしゃ)を愛し、小人(せうじん)は福人(ふくじん)を愛す。

行いが正しく立派な人は智恵が備わった人を愛し、心が卑しく下品な人は金持ちを愛する。

富貴(ふうき)の家に入(い)ると雖(いへど)も、財(ざい)無き人の為(ため)には、猶(な)ほ霜(しも)の下の花の如(ごと)し。

裕福で高貴な家に入って多くの財産や高い地位を得たとしても、才能や智恵のない人であれば、霜の下で萎れてしまう花のようなものである。

貧賤(ひんせん)の門(かど)を出(い)づと雖(いへど)も、智(ち)有る人の為(ため)には、宛(あたか)も泥中(でいちう)の蓮(はちす)の如し。

貧しくて身分の低い家に生まれたとしても、智恵のある人であれば、それは泥の中の蓮が美しく花を咲かせるようなものである。

父母は天地の如(ごと)し。師君(しくん)は日月(じつげつ)の如し。

父母は天地のように尊く、師君は日月のように尊い。(「師君」・・・「師」は人を指導する者、「君」は統治者、主人のこと。)

親族は譬(たと)へば葦(あし)の如(ごと)し。夫妻は猶(な)ほ瓦(かはら)の如し。

親族はたとえていえば生い茂る葦と同じであり、夫妻は雨露をしのぐ丈夫な瓦と同じである。

父母には朝夕孝せよ。師君(しくん)には昼夜仕へよ。

父母には常に孝行を尽くし、師や主人には常によく仕えよ。

友と交はりて諍(あらそ)ふ事(こと)(なか)れ。

友と交際しても争ってはいけない。

(おのれ)より兄には礼敬(れいけい)を尽くし、己より弟には愛顧(あいこ)を致(いた)せ。

自分より年上の者には礼儀正しくしてよく敬い、自分より年下の者には可愛がってよく面倒を見よ。

人として智(ち)無き者は、木石(ぼくせき)に異ならず。人として孝(かう)無き者は、畜生(ちくしゃう)に異ならず。

人として智恵のない者は、木や石と大差ない。人として孝を尽くさない者は、鳥や獣と大差ない。

三学(さんがく)の友に交(まじ)はらずんば、何ぞ七覚(しちかく)の林に遊ばん。

三学を修める友に交わらなければ、七覚の林で遊ぶことはできない(三学を修めていなければ、七覚の修行をしても悟りを得ることはできない)。

「三学」・・・仏道を修行する者が修めるべき三つの修行項目こと。
・戒学~仏教で定められた戒律を守ること。
・定学~心が乱れないように精神を集中させること。
・慧学~煩悩を離れ真理をよく見極めること。

「七覚」・・・悟りを得るための七つの修行法のこと。
・択法覚支~真実の教えを選び取ること。
・精進覚支~一心に正しい教えに従って修行すること。
・喜覚支~真実の教えを実行し喜ぶこと。
・軽安覚支~心身を軽やかにすること。
・定覚支~心を集中して乱さないこと。
・捨覚支~対象への執着を遠ざけること。
・念覚支~思いを平らかにすること。

四等(しとう)の船に乗らずんば、誰(たれ)か八苦(はっく)の海を渡らん。

四等の船に乗らなければ、八苦の海を渡ることはできない(四等を常に意識して生活しなければ、苦難に満ちたこの世を渡っていくことはできない)。

「四等」・・・仏道を修行する者が持つべき四つの心構えのこと。
・慈無量心~人に安楽を与えようとする心。
・悲無量心~人の苦しみを除こうとする心。
・喜無量心~人の幸せを共に喜ぶ心。
・捨無量心~全ての人に平等に臨む心。

「八苦」・・・人生の八つの苦しみのこと。
・生苦~生まれる苦しみ。
・老苦~老いる苦しみ。
・病苦~病にかかる苦しみ。
・死苦~死ぬ苦しみ。
・愛別離苦~愛する人と別れる苦しみ。
・怨憎会苦~怨み憎む人と会う苦しみ。
・求不得苦~求めても得られない苦しみ。
・五蘊盛苦~心身を構成する色・受・想・行・識の五つの要素の働きによって生じる苦しみ。

八正(はっしゃう)の道は広しと雖(いへど)も、十悪(じうあく)の人は往(ゆ)かず。

八正の道は広いけれども、十悪の人はその道を進むことはできない(八正道は誰もが行うことができるが、十悪を為す者だけは行うことができない)。

「八正道」・・・涅槃に至るための八つの実践徳目。涅槃は、全ての煩悩を滅し苦しみのない心の境地。
・正見~正しい見解。
・正思惟~正しい決意。
・正語・・・正しい言葉。
・正業~正しい行為。
・正命・・・正しい生活。
・正精進~正しい努力。
・正念~正しい思念。
・正定~正しい瞑想。

「十悪」・・・身・口・意の三業 (さんごう) がつくる十種の罪悪。
・殺生~生き物を殺すこと。
・偸盗~人のものを盗むこと。
・邪淫~配偶者でない者と性行為をすること。
・妄語~嘘をつくこと。
・悪口~人の悪口を言うこと。
・綺語~お世辞を言うこと。
・両舌・・・二枚舌を使うこと。
・貪欲~非常に欲が深いこと。
・瞋恚~すぐに腹を立てること。
・邪見~よこしまな考えを持つこと。

無為(むゐ)の都(みやこ)は楽しと雖(いへど)も、放逸(はういつ)の輩(ともがら)は遊ばず。

無為の都(涅槃の境地)は楽しいけれども、放逸の輩(仏道に背いて修行を怠る者)はそこに行くことはできない。

老いたるを敬うは父母の如(ごと)し。幼(いとけな)きを愛するは子弟(してい)の如し。

老人には自分の父母を敬うように接し、幼い子には自分の子や弟を可愛がるように接せよ。

(われ)他人を敬へば、他人また我を敬ふ。己(おのれ)人の親を敬へば、人また己の親を敬ふ。

自分が他人を敬えば、他人もまた自分を敬ってくれる。自分が他人の親を敬えば、他人もまた自分の親を敬ってくれる。

(おのれ)が身を達せんと欲する者は、先(ま)づ他人を達せしめよ。

自分の目的を成し遂げようと思う者は、先に他人が成し遂げられるように助けよ。

他人の愁(うれ)ひを見ては、即(すなは)ち自(みづか)ら共に患(うれ)ふべし。他人の喜びを聞きては、即ち自ら共に悦(よろこ)ぶべし。

他人が憂えているのを見たなら、共に憂う。他人の喜びを聞いたなら、共に喜ぶことである。

(ぜん)を見ては速(すみ)やかに行ひ、悪を見ては忽(たちま)ち避けよ。

善い行いを見たらすぐにこれを行い、悪い行いを見たらすぐに避けよ。

(ぜん)を修(をさ)むる者は福(さいはひ)を蒙(かふむ)る。譬(たと)へば響きの音に応(こた)ふるが如(ごと)し。悪を好む者は禍(わざはひ)を招く。宛(あたか)も身に影の随(したが)ふが如し。

善を修行する者は身に幸福をもたらす。たとえば音に響きが伴うように。悪を好む者は身に災難をもたらす。あたかも自分の影が付いてくるように。

富むと雖(いへど)も貧しきを忘るること勿(なか)れ。貴(たっと)しと雖も賤(いや)しきを忘るること勿れ。或(あるい)は始め富みて終り貧しく、或は先に貴くして後に賤し。

自分が裕福になったとしても、貧しい時の気持ちを忘れてはいけない。自分が高い地位に就いたとしても、身分の低い者の気持ちを忘れてはいけない。最初は裕福であっても最後に貧乏になることがあり、最初は高い身分であっても最後に身分が低くなることがある。

(そ)れ習ひ難く忘れ易きは、音声(おんじゃう)の浮才(ふさい)。また学び易く忘れ難きは、書筆(しょひつ)の博芸(はくげい)

習うのが難しくて忘れやすいのは音楽のような芸才。学ぶのが容易で忘れにくいのは読み書きの才能である。

(ただ)し食(しょく)有れば法有り。また身あれば命有り。猶(な)ほ農業を忘れず、必ず学文(がくもん)を廃すること莫(なか)れ。

しかし食物があれば存在できる。また身体があるから命がある。食物の根本である農業を忘れず、人道の根本である学問をやめてはならない。

(ゆゑ)に末代(まつだい)の学者は、先(ま)づ此書(このしょ)を案ずべし。是(これ)学問の始め、身終るまで忘失(ばうしつ)すること勿(なか)れ。

故に後世の学問に励む者は、まずこの書物をよく読んで思案すべきである。この実語教は学問の出発点であり、死ぬまで忘れてはならない。

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※表記は旧仮名遣いによっています。

 

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『実語教』について

この『実語教』という本は、平安時代の終わりにできたといわれています。弘法大師(空海)の作という説もありますが、本当のところはわかりません。子どもたちの教育に使われ、鎌倉時代に世の中に広まって、江戸時代になると寺子屋の教科書となりました。明治時代になっても、しばらく使われていたようです。ですから、だいたい千年近くずっと使われていたことになります。

どうして『実語教』がそれほど重宝されていたのかというと、この中に、人間が世の中で生きていくうえで欠かせない大切な智恵が詰まっていたからです。学びの大切さ、両親・先生・目上の人への礼儀、兄弟、友だち、後輩との付き合い方などについて、たとえ話をまじえながら、やさしく説いているのです。ですから、子どもにもわかりやすかったのでしょう。

昔は、子どもの頃に『実語教』をしっかり学んで自分のものにしてしまえば、自然と立派な大人になれるようになっていたのです。

私は『実語教』のことを「日本人千年の教科書」と呼んでいます。というのも、日本人は長い時間の流れの中で、『実語教』を学び続けて、日本人として生きる基礎をつくってきたからです。

現代の私たちが読むと、言葉づかいは少し古くさいと感じるかもしれません。でも、その内容は今でも通用する大切なものばかりで、まったく古くなっていません。みなさんの祖先が何を学び、どれほど真面目に生きてきたかを知るためには一番の本だと思っています。

そして、みなさんにも、この『実語教』を一所懸命学んで、そこに書かれている内容をしっかり理解してもらいたいと思います。『実語教』に書かれている日本人の心を受け継いで、みなさんの次の世代の子どもたちに伝えていってもらいたいと思うのです。


~齋藤孝さんの言葉:著書から抜粋引用

寺子屋について

江戸時代、武士の子供たちは、各藩に設けられた藩校に通いましたが、農民や町人の子供たちは寺子屋に通って勉強しました。寺子屋の起源は、中世の寺院で行われた学問指南に遡るといわれます。江戸時代になると、商工業の発展などに伴い実務的な学問習得への需要が高まり、まず江戸や京都などの都市部に寺子屋が普及していきました。その後、農村や漁村にも広がりを見せ始め、江戸時代中期以降にますます増加、最終的には全国で1万数千軒にものぼったとされます。

寺子屋の教員となったのは僧侶や武士、浪人、医者などで、女性の先生も少なくありませんでした。「読み書きそろばん」と呼ばれる読書・習字・算数の基礎的な知識の習得のほか、地理・人名・書簡の作成法など実生活に必要な教育も行われていました。生徒の数は20~30人、ふつうは男女共学でした。

現代の日本ではかつて「ゆとり教育」の是非が論じられたこともありましたが、寺子屋の生徒たちは実によく勉強していました。始業時刻は朝の8時、終業は午後2~3時くらい。休みは毎月1日、15日、25日の月3回だけで、夏休みなどはありませんでした。ただし、6月1日から2ヶ月間の授業は午前中のみとされました。このほか、正月、盆、節句は休みになりましたが、それでも年間の休日は50~70日くらいにすぎませんでした。 

この寺子屋の制度は、明治時代の学制に取って代わられましたが、すでに寺子屋によって高水準の教育が庶民に広く定着しており、明治初期の識字率は世界最高クラスにありました。寺子屋が高い教育基盤を社会に与えていたからこそ、その後の日本が急速に近代化できたといっても過言ではないでしょう。

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