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故事成語(つづき)

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あ行か行さ行た行/ な・は行/ ま行~

な・は行

  • 南船北馬(なんせんほくば)
    南の方では船で、北の方では馬で旅をする。転じて、あちらこちらと広く旅行すること。中国の地勢では、南には川が多く船を使い、北には山が多く馬で往来したことによる。
  • 入木三分(にゅうぼくさんぶ)
    書道で筆勢がとても強いこと。また、物事を的確に深くつっこんで考えること。東晋の書家・王義之(おうぎし)は筆勢がきわめて強く、文字を記した木片を削ってみると三分(約7ミリ)の深さにまで墨がしみこんでいたという故事から。また、書道のことを「入木道(じゅぼくどう)」とよぶのはこの故事による。
  • 拈華微笑(ねんげみしょう)
    言葉によらず、心から心へ伝えること。「 拈華」は華を指先でつねること。釈迦(しゃか)が弟子に説法しているとき、蓮(はす)の花をひねって見せたが、弟子たちはその意味を理解できず沈黙していた。ただ一人、迦葉(かしょう)だけが悟ってにっこりと笑ったので、釈迦は、迦葉が言葉で表せない仏教の奥義を理解できる者として、彼に仏法の奥義を授けた故事から。
  • 売剣買牛(ばいけんばいぎゅう)
    戦争をやめ、農業に力を尽くして盛んにすること。 また、武器を捨てて、農業に従事すること。 剣を売って牛を買う意から。前漢の宣帝時代の渤海の長官・龔遂(きょうすい)は盗賊を平定し、人民に倹約と農業を奨励した。また、刀剣を持っている者に、それを売って牛を買うことを勧めた。人民は農作に精を出し皆豊かになったという故事から。「買牛売剣」ともいう。
  • 梅妻鶴子(ばいさいかくし)
    俗世を離れた清らかで風雅な隠遁生活のたとえ。宋の時代、林逋(りんぽ)は、隠遁して武林の西湖(せいこ)のほとりに住んでいたが、妻をもたず梅を植え、子のかわりに鶴を飼い、船を湖に浮かべて清らかに風雅に暮らしたという故事から。
  • 買妻恥醮(ばいさいちしょう)
    夫を見限って離婚した女性が、その後の結婚を恥に思うこと。「買妻」は朱買臣(しゅばいしん)の妻。漢の朱買臣の妻は貧乏に耐えきれず、将来富貴になるだろうという夫の言葉を信用せず、夫のもとを去った。のちに会稽(かいけい)の太守となった買臣は、故郷で道路の工事人の妻となっている元の妻を見つけ、夫とともに太守の宿舎につれ帰り、食事の世話をしたが、一か月後、元の妻は首をくくって自殺したという故事から。
  • 背水之陣(はいすいのじん)
    必死の覚悟で事に当たること。前漢の時代、韓信(かんしん)が趙(ちょう)と戦った際、自軍の兵隊を集め、わざと後にひけない川を背に陣を敷いて退却できないようにし、決死の覚悟で攻め進んで大勝利をおさめたという故事から。
  • 破鏡重円(はきょうじゅうえん)
    離れ離れになったり、別れたりした夫婦がまたいっしょになること。陳(ちん)の徐徳言(じょとくげん)が戦乱の最中、妻と別れるとき、再会のために鏡を半分に割ってそれぞれが一片を持っていたところ、無事に再会できたという故事から。
  • 伯夷叔斉(はくいしゅくせい)
    高潔で清廉潔白な人のこと。伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)という古代中国の清廉潔白な兄弟の名から。伯夷と叔斉は殷の孤竹君(こちくくん)の子供で、父は弟の叔斉にあとを継がせようとしたが、二人はお互いに譲り合って継がなかった。のちに二人は周の文王のもとに身を寄せたが、文王の死後、武王が殷の紂王を討とうとしたのでこれを諫めたが聞き入れられなかった。周の統一後、このまま周王のもとで俸給をもらうのをいさぎよしとせず、山に隠れて餓死したという。
  • 白衣三公(はくいのさんこう)
    地位も権力も持たないものが出世して高官になること。「白衣」は庶民の衣服のことで、官位のある人は官位ごとの決まった色の服を着たという。「三公」は最も高い位の意。漢の公孫弘(こうそんこう)は、無位無官の庶民から出世して、三公の一つ丞相(じょうしょう)にまでなったという故事から。
  • 伯牙絶弦(はくがぜつげん)
    心からの友人を失った悲しみ。「伯牙」は人の名、「絶弦」は琴の弦を切ること。春秋時代、、琴の名手である伯牙は、自分の一番の理解者であり、親友だった鐘子期(しょうしき)が亡くなったとき、自分の琴を理解してくれる人はもういないと嘆き、琴の弦を切って二度と弾くことはなかったという故事から。
  • 白眼青眼(はくがんせいがん)
    相手によって応対を変えること。また、好き嫌いで変わる目つき。「白眼」は白い目で、人を冷淡に見る目つき、「青眼」は黒目がちの、人を歓迎する気持ちを表した目つき。晋の阮籍(げんせき)は竹林の七賢の一人で、気に入らない客には白眼で対し、気に入った客には青眼で迎えたという故事から。
  • 白眉最良(はくびさいりょう)
    多くの中で最もすぐれているもののこと。「白眉」は白いまゆのこと。三国時代、蜀の馬氏の五人兄弟はみな優秀だったが、中でも、馬良(ばりょう)はひときわすぐれおり、幼い頃から眉に白い毛が混ざっていたことから「白眉」と呼ばれ、「馬氏の五常、白眉最も良し」といわれたという故事から。「五常」は五人全員についていた字(あざな)。
  • 伯楽一顧(はくらくのいっこ)
    鑑識眼のある実力者から才能を認められて重用されるたとえ。「伯楽」は春秋時代の人で、名馬を見分けることで知られた。その伯楽が、数多い馬の中の一頭を ちょっと振り返って見ただけで、その馬に十倍の値がついて売れたという故事から。
  • 発縦指示(はっしょうしじ)
    戦闘において戦いを指揮すること。また、指揮官。項羽を滅ぼし天下を平定した劉邦が、将兵を評価し、指揮をとった蕭何(しょうか)を一番の功労者としたが、功臣たちは実際に戦ったのは自分たちで、蕭何は文墨(ぶんぼく)をもって議論しただけだと抗議した。それに対し劉邦は、猟をする場合、獣を追い立てて殺すのは犬であり、犬に指示するのは人である。諸君の働きは犬に相当し、蕭何の功は人に相当すると言ったという故事から。
  • 抜本塞源(ばっぽんそくげん)
    災いの原因を取り除くこと。弊害をなくすために根本にさかのぼって処理すること。春秋時代、晋が異民族の戎(じゅう)とともに周を攻めたので、周の景王(けいおう)が晋の平公(へいこう)に使いを送り、「周と晋とは古来、木と根、水と水源のように切っても切れない関係にあったのに、その根を抜き、水源を塞ぐのか」といって、攻撃を思いとどまらせようといたという故事から。
  • 破天荒解(はてんこうかい)
    今まで誰もしなかったことに初めて成功すること。また型破りなこと。「破」は、ここでは成し遂げる意。「天荒」は、天地が分かれる前の混沌としたさま、または未開の土地のこと。唐の時代、荊州では長い間多くの解送者(科挙の地方予備試験に合格して中央の本試験を受ける者)がいたが、多くは合格しなかったので「天荒解」といわれた。ところが、劉蛻(りゅうぜい)という男が初めて本試験に合格し、人々が未開の地を脱したという意味で「天荒を破る」と言ったという故事から。
  • 班荊道故(はんけいどうこ)
    昔の友達とばったり会って昔の親交を思い、語り合うこと。「班荊」はいばら(草)を敷くこと。「道故」は話をする意。春秋時代、伍挙(ごきょ)が楚から亡命して晋に行く途中に、古い友人の声子(せいし)とたまたま出会って、草を敷いて食事をして語り合ったという故事から。
  • 班女辞輦(はんじょじれん)
    君主の行いを諌める賢い女性の喩え。「班女」は前漢の成帝の側室「班倢伃(はんしょうよ)」のこと。「辞」は辞退する、「輦」は人の引く車の意。あるとき、成帝は班倢伃に共に車に乗るようにと誘ったが、彼女は「昔の名君の絵を見ますと、立派な君主は傍に賢臣を従えています。ところが、王朝の末の君主はみな傍に女を侍らせています。私は陛下をそんな君主にしたくはありません」と言って辞退したという故事から。
  • 尾生之信(びせいのしん)
    約束をかたく守ること。また。馬鹿正直で融通が利かないこと。春秋時代、魯の国に尾生という若者がいた。あるとき橋の下で女と会う約束をしたが、女はなかなかやって来ない。そのうち雨が降り出し、川が増水してきたが、尾生は約束を守って待ち続け、橋げたに抱きついたまま溺れ死んでしまったという故事から。
  • 髀肉之嘆(ひにくのたん)
    実力を発揮する機会に恵まれないのを嘆き悲しむこと。「髀肉」はももの肉。蜀の劉備( りゅうび) が、平穏な日々が続き、馬に乗って戦場に行くことがなかったため、内ももに贅肉(ぜいにく)がついて肥え太ってしまったのを嘆いたという故事による。
  • 被髪佯狂(ひはつようきょう)
    髪を振り乱して、狂人のふりをすること。「被髪」は束ねずに乱れた髪の毛。「佯狂」は狂人のまねをする意。 殷の紂王(ちゅうおう)に仕えた箕子(きし)は、暴政を行う紂王を諫めたが聞き入れられなかった。君主のもとを去れば、君主の悪が公になってしまい、また、自分自身を弁解することにもなってしまうと考えた箕子は、髪をふり乱し、狂人のまねをして奴隷となったという故事から。
  • 百発百中(ひゃっぱつひゃくちゅう)
    発射すれば必ず命中すること。転じて、予想や計画などが、すべてそのとおりになること。戦国時代、楚に養由基(ようゆうき)という弓の名人がいて、百歩離れたところから柳の葉を射ると、百本中百本ともすべて命中させたという故事から。
  • 病入膏肓(びょうにゅうこうこう)
    病気が重くなって、治る見込みがなくなること。物事に熱中しすぎて、そこから抜けられなくなること。「膏」は心臓の下の部分。「肓」は横隔膜の上のあたりの隠れた部分。春秋時代、重病で臥せている晋の景公が、自分を苦しめている病魔が二人の子どもの姿となって現れ、名医も手の届かない「膏」の下、「肓」の上の部分に隠れた夢を見たという故事から。
  • 貧者一灯(ひんじゃのいっとう)
    貧しい者の心のこもった寄進は、金持ちの虚栄による多量の寄進よりも価値があること。まごころの貴いことのたとえ。古代インド、マガダ国の阿闍世王(あじゃせおう)が、仏のために宮門から祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)まで万灯の明かりをともして飾った。ある貧しい老女が仏に献じようと、苦しいなかから都合して一灯をともした。王の万灯は消えたり、油が切れたりして悉く消えたが、老女の灯明だけは終夜燃え続けたという故事による。
  • 牝牡驪黄(ひんぼりこう)
    物事は外見にとらわれず、本質を見抜くことが大切であること。また、めすとおす、黒色と黄色を見まちがえること。秦の穆公(ぼっこう)は、伯楽(はくらく)のすすめで九方皐(きゅうほうこう)に馬を探しに行かせた。黄色い牝馬を見つけたというので連れてこさせようとしたら、報告と違い、黒い牡馬であった。穆公は馬の性別や色さえも見分けられないのかと怒ったが、伯楽は名馬は性別や色など見た目で判断せず、その馬が本来もっている能力で見抜くべきだと説き、はたしてその馬は名馬であったという故事から。
  • 馮異大樹(ふういたいじゅ)
    おごり高ぶらない人のたとえ。「 馮異」は後漢の将軍。馮異は謙譲の徳をもち、他の将軍たちが手柄話を始めると、大きな樹の下に移動して自身の功績を語ろうとしなかったという故事から。
  • 風声鶴唳(ふうせいかくれい)
    おじけづいた人が、少々のことに驚くことのたとえ。戦いに敗れた前秦の苻堅(ふけん)の軍が、風の音や鶴の鳴き声などにも驚き騒いで敗走したという故事から。
  • 覆水不返(ふくすいふへん)
    一度犯した過ちは元どおりにはならないということ。また、離婚した夫婦の仲は元にもどらないということ。「覆水」はこぼれた水。周の時代、呂尚(りょしょう:のちの太公望)は読書ばかりしていて貧しく、妻の馬氏(ばし)は我慢できずに離婚した。呂尚が斉国の君主に出世すると彼女は復縁を迫ったが、呂尚は盆の水を地面にこぼして「これを元どおりにしたら応じよう」と言って断ったという 故事から。
  • 刎頸之交(ふんけいのまじわり)
    相手のためならば、自分の首が切られても後悔しないほどの深い友情。「 刎頸」は刀で首をはねること。春秋時代、趙(ちょう)の廉頗(れんぱ)将軍は、巧みな弁舌のみで恵文王(けいぶんおう)の厚い信頼を得ている藺相如(りんしょうじょ)を恨んだが、相如は二人が相争えば趙が強国の秦に攻め滅ぼされてしまうとして二人の争いを避けた。これを伝え聞いた廉頗は心から謝罪し、二人は相手のためなら首を切られてもよいと思うほどの深い親交を結んだ故事から。
  • 焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)
    思想・学問・言論を弾圧すること。「焚書」は書物を焼き捨てること。「坑」は穴埋めにすること。「儒」は儒者。 秦の始皇帝が政治批判を封じるために、一部の実用書を除くすべての書物を焼却するよう命じ、さらに数百人の学者を生き埋めにした故事から。
  • 傍若無人(ぼうじゃくぶじん)
    そばに人がいないかのように振舞う、人前にもかかわらず勝手で無遠慮な振る舞いをすること。中国戦国時代、荊軻(けいか)という人物が、刺客となって燕(えん)の国に行った折、筑(竹で打ち鳴らす楽器)の名人・高漸離(こうぜんり)と意気投合し、市場で酒を飲み、大声で歌を唱い、感極まって泣き出したりしたという故事から。
  • 母猿断腸(ぼえんだんちょう)
    腸(はらわた)がちぎれるような激しい悲しみや苦しみのこと。晋の時代、桓温(かんおん)が蜀を攻め、船で長江を航行中、一人の兵が小猿を捕らえた。それに気づいた母猿が激しく鳴き声をあげながら岸辺づたいに追いかけてきて、やっと追いつき、船に飛び移ってわが子を抱いたとたん死んでしまった。母猿の腹を裂いてみると腸がずたずたにちぎれていた。桓温は怒り、その兵を罰したという故事から。
  • 墨子泣糸(ぼくしきゅうし)
    人は環境や習慣、他人から受ける影響などによって善くも悪くもなるということ。「墨子」は戦国時代の思想家、墨翟(ぼくてき)のこと。墨子は白い糸が染料によって様々な色になるのを見て、物事は何を選択するかで結果が大きく分かれ戻ることができないことを嘆いて涙を流した故事による。
  • 墨翟之守(ぼくてきのまもり)
    自分の説などを堅く守って改めないこと。 「墨翟」は戦国時代の思想家、墨子(ぼくし)のこと。墨子と宋の軍師である公輸盤(こうしゅはん)が木の板などを使って城や兵器に見立てた机上戦を行ったとき、墨子が公輸盤の攻撃をことごとく防いだという故事から。

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ま行~

  • 磨礱砥礪(まろうしれい)
    知らず知らずのうちに物が減っていくたとえ。「磨礱」は研ぎ磨く意、「砥」と「礪」はどちらも砥石のこと。呉王が乱を起こしたときに家臣の牧乗(ばいじょう)が王を諫めた書状にある言葉。物をとぐと知らないうちにすり減っていくが、人の行いも小さな行動が積もり積もって栄えたり滅亡したりする原因になる、と述べている。
  • 矛盾撞着(むじゅんどうちゃく)
    物事のつじつまが合わなくて、前後が食い違っていること。戦国時代、楚の商人が矛と楯を売りつけようとして、「この楯はどんな鋭い矛でも防げる。この矛はどんな堅い楯でも貫ける」と言ったところ、ある人から「お前の矛でお前の楯を突いたらどうなるのか」と聞かれて、何も答えられなかったという故事から。
  • 明珠暗投(めいしゅあんとう)
    どんなに貴重な物でも、贈り方がよくないとかえって恨みを招くたとえ。梁(りょう)の孝王の臣である鄒陽(すうよう)は、王の側近にこびへつらわなかったため讒言され、死刑にされようとしたとき、孝王に「どんな明殊でも、暗闇の中を行く人に投げつければ、剣に手をかけてにらみつけない者はない。それは、思いがけず目の前に飛んでくるからだ」との書状を奉り、弁明して身の潔白を主張した故事から。
  • 面壁九年(めんぺきくねん)
    長い間、わき目もふらず勉学すること。また、一つのことに忍耐強く専念して、やり遂げること。南北朝時代、禅宗の始祖とされる達磨(だるま)大師がインドから中国に渡って以後、嵩山(すうざん:洛陽の東方にある山)の少林寺に籠もって九年間も壁に向かって座禅を組み続け、ついに悟りを開いたという故事から。
  • 孟母三遷(もうぼさんせん)
    子供の教育には環境が大切であるというたとえ。「孟母」は孟子の母。孟子は幼いときに父親を失い、母親一人の手で育てられた。最初は墓の近くに住んでいて、息子が葬式の真似ばかりするので教育上好ましくないと思った母親は、市場の近くに引っ越した。息子は今度は商人の真似ばかりして遊んでいる。そこで母親は学校の近くに引っ越した。すると息子は祭礼の道具を並べて、儀式の真似をして遊ぶようになった。孟子はのち学問に励み、偉大な儒者となった。
  • 孟母断機(もうぼだんき)
    学問を途中でやめてしまったら何にもならないという教え。孟子が学問をしても進歩がないと言うのを聞いた孟子の母親が、織りかけの布を切り、学問を途中でやめるのは、この織りかけの布を断ち切るのと同じだと戒めた故事から。「断機之戒(だんきのいましめ)」とも。
  • 目指気使(もくしきし)
    言葉に出さず、目くばせや顔つきだけで目下の者をこき使うこと。前漢の貢禹(こうう)が元帝に上書した中で、「行いが犬や豚のようであっても、裕福な家で勢い盛んであるならば、目くばせや顔つきだけで目下の者をこき使い、そうしたことをすぐれたこととしている」と述べた言葉にもとづく。
  • 問鼎軽重(もんていけいちょう)
    権威ある者の力量をあなどって、その実力の程を問うこと。 また、ある人の実力を疑って、その地位を脅かそうとすることのたとえ。天下を狙う楚の荘王が、周の帝位の象徴である鼎の大きさや重さを尋ねた。鼎は象徴であり、それを問うたのは周の王室の権威をないがしろにし、暗に王権を狙ったものであったという故事から。「鼎の軽重を問う」という言い方が一般的。
  • 約法三章(やくほうさんしょう)
    物事を行う際に、事前に決めておく簡単な約束事や規則のこと。また、簡単な法律の総称。 秦を滅ぼした劉邦(りゅうほう)は、関中の王になったときには今までの秦の多くの法律を廃止し、三法、すなわち殺人は死刑に処し、傷害および窃盗を行った者は罪するという簡易な法律のみとすると約束し、関中の民衆を喜ばせたという故事から。
  • 夜郎自大(やろうじだい)
    自分の力量を知らずに、いばっている者のたとえ。「夜郎」は国の名。前漢の時代、西南(貴州省)の地域においては隆盛を誇っていた夜郎の国の君主が、漢の広大さを知らず、漢の使者に対して、自分の国と漢の国のどちらが大きいかを問うたという故事から。
  • 維摩一黙(ゆいまいちもく)
    多弁より沈黙がまさっていることのたとえ。「維摩」は釈迦の弟子の名前で、古代インドの大富豪で学識に富み、在家の弟子として釈迦の化導を助けたといわれる。 釈迦の弟子たちが、仏の悟りとは何かについてさんざん議論していたが、維摩だけは、一言も発せず黙って聞いていて、「仏の教えは文字やことばでは説明することも思い量ることもできない」ことを身をもって示したという故事から。
  • 優孟衣冠(ゆうもういかん)
    他人の真似をする人。または、演技をすること。姿は似ているが、実態が違うもののたとえ。「優孟」は人名。春秋時代、楚の国の宰相の孫叔敖(そんしゅくごう)は清廉な人だったが、叔敖の死後にその子孫は貧しく落ちぶれていた。叔敖に恩があった優孟は、叔敖の衣服と冠を身につけて叔敖になりすまし、歌を歌って叔敖の功績と子孫の不遇を訴えると、荘王は反省して叔敖の子に領地を与えたという故事から。
  • 落月屋梁(らくげつおくりょう)
    友人を心から思う情。唐の詩人、杜甫(とほ)が江南に流された友人の李白(りはく)を思い、「家の屋根に落ちかかる月に君の面影を見た」と詩を詠じた故事から。
  • 落筆点縄(らくひつてんよう)
    過ちをうまく処理して、逆に上手に仕上げること。三国時代、呉の画家の曹不興(そうふこう)が孫権(そんけん)の命を受けて屏風(びょうぶ)に絵を描いていたとき、誤って筆を落としてつけた汚れを、巧みに蠅に描き変えてしまったという故事から。
  • 濫竽充数(らんうじゅうすう)
    大した能力もないのに、いかにも才能があるように見せかけるたとえ。 また、分不相応な地位にいるたとえ。「濫」はみだりに、でまかせにの意。「竽」は笛のこと。「濫竽」はみだりに笛を吹くこと。「充数」は必要な数を満たす意。戦国時代、斉の宣王が竽という楽器を愛好したので、南郭処士(都城の南に住む無官の人)は演奏する才能もないのに、多くの楽士に交じって竽を吹いているふりをして優遇されていた。しかし、宣王の死後、閔王(びんおう)が即位し、独奏を好み、一人ずつ竽を吹くことになると逃げ去ってしまったという故事から。
  • 流金鑠石(りゅうきんしゃくせき)
    金属や石が溶けて流れるほどの猛烈な暑さのこと。昔、十個の太陽が同時に昇り、金属や石をみな照らし溶かしたという伝説から。
  • 梁冀跋扈(りょうきばっこ)
    臣下が権力を使って、好き勝手に振る舞うこと。後漢の時代、将軍の梁冀(りょうき)は、権勢をふるい、幼いながらも聡明な質帝(しつてい)に「跋扈将軍」とあだ名され、これを恨んで帝を毒殺した故事から。
  • 梁上君子(りょうじょうのくんし)
    盗賊、泥棒のこと。転じて「鼠」の異名。後漢の陳ショクは、ある夜天井の梁の上に泥棒がひそんでいるのに気づき、子供を起こして「人は努力して学ばなければいけない。悪人だってはじめから悪人というわけではなく、ただ悪い習慣が身に付くのだ。あの梁の上の紳士もそうだ」と諫めたところ、泥棒は下りてきて改心したという故事から。
  • 遼東之豕(りょうとうのいのこ)
    世間知らずで、自分だけが得意になっていること。ひとりよがり。後漢王朝が創建されて間もないころ、遼東地方の人が、白い頭の豚が生まれたので、大変珍しいものだと思って天子に献上しようと河東まで来たところ、豚の群れに出会い、それがみな白い頭の豚だったので、恥じて引き返したという故事から。
  • 零丁孤苦(れいていこく)
    落ちぶれて助ける者もなく、独りで苦しむこと。 晋の李密(りみつ)が武帝から任官されたとき、それを辞退する旨の上奏文で使った言葉。李密は病に臥ふせる祖母を日夜看病していて、「私は幼くして孤児になり祖母の手によって育ちましたが、幼いころから病弱で、九歳になっても出歩くことができず、零丁孤苦して成人しました」と言ったという故事から。
  • 老馬之智(ろうばのち)
    長い経験を積んで得たすぐれた知恵や知識。春秋時代、斉の桓公が戦いの帰途で道に迷ってしまった。付き従っていた宰相の管仲はどうしたものかと思案し、一度通った道を覚えているという老馬の知恵を信じてこれを放ち、そのあとに付いていくと無事帰ることができたという故事から。
    賢人は、分からないことがあれば相手が誰であっても教えを乞うものであり、誰に訊けば適切に教えてもらえるか経験知をもった人をしっかり判断できる。
  • 老莱斑衣(ろうらいはんい)
    親孝行のたとえ。 親に孝養の限りを尽くすことのたとえ。「老莱」は人名。 「斑衣」はまだらに染めた派手な服。周代の楚の老莱は、七十歳になっても親の前で斑衣を着てたわむれ、親に年をとったことを忘れさせようとしたという故事から。
  • 和光同塵(わこうどうじん)
    自分の才能や徳を隠して、世間に目立たないようにすること。出典は『老子』の「其の光を和げ、其の塵に同じうす」。人間はとかく自分の才能をひけらかし、目立とうとするが、何か禍(わざわ)いが起こった時、目立つ者がまっ先に害にあう。だから、なるべく才知は表に出さず、俗世間の塵の中にまみれていなさい、そうすれば害にもあわず、安穏に暮らしていける、という人生哲学を述べたもの。

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荀子の言葉

人の性は悪、その善なる者は偽なり。
~人間の性は生まれながら悪であり、善であるのは偽りである。
 

学は以て已むべからず。青は、之を藍より取りて、藍よりも青く、氷は、水之を為して、水よりも寒し。
~学問は途中でやめてはならない。青色は藍草から取るが藍よりも青くなり、氷は自らできるが水より冷たくなる。
 

終身の楽しみありて、一日の憂いなし。
~生涯をかけて叶えたい目標があるならば、日々の小さな失敗など気にならなくなる。
 

疑を以て疑を決すれば、決必ず当たらず。
~迷いながら物事を決めると、必ず失敗する。
 

君子は居るに必ず郷を択び、遊ぶに必ず士に就く。
~君子は、住むときには必ず土地を選び、交遊するときは必ず立派な人につくようにする。
 

君子は時詘すれば則ち詘し、時伸ぶれば則ち伸ぶなり。
~君子は時が至らないときには屈して時に従い、時が至って伸びるときに伸び上がる。
 

君子は能あるも亦た好く、不能なるも亦た好し。小人は能あるも亦た醜く、不能なるも亦た醜し。
~君子というのは、才能があればすばらしいが、才能がなくてもすばらしい。小人は才能があっても見苦しく、才能がなければなおさら見苦しい。
 

君子能あれば則ち人これに学ぶことを栄とし、不能なれば則ち之に告ぐことを楽しむ。
~君子に才能があれば、人はその人に学ぶことを栄誉とし、もし才能がなければ、その人に教えることを楽しみとする。
 

学は其の人に近づくより便なるは莫し。
~学問は、これぞという人について学ぶよりよい方法はない。
 

上学は神で聴き、中学は心で聴き、下学は耳で聴く。
~もっともよい学問の仕方は精神で聴き、次によいのは心にとめて聴く、悪いのは耳で聴くだけ。
 

流言は知者に止まる。
~流言やうわさは、知恵の優れた人、道理をわきまえた人のところで止まる。
 

道は近しといえども、行かざれば至らず。事は小なりといえども、為さざれば成らず。
~いくら近い道であっても、まずは足を踏み出さなければ着くことはない。いかに小さなことでも、自分でやらなければ完成しない。
 

百発も一を失すれば、善射と謂うに足らず。千里も蹞歩にして至らざれば、善御と謂うに足らず。
~弓を百発撃って一つ的を外せば、弓の名人とはいわれない。千里の道を馬で行き、半歩手前で止まってしまえば、よい御者とはいわれない。
 

その子を知らざれば、その友を視よ。
~その人の為人(ひととなり)がわからなければ、その友人たちを見よ。
 

夫の驥は一日にして千里なるも、駑馬も十駕すれば則ち亦た之に及ぶ。
~あの駿馬(しゅんめ)は一日に千里を駆けるといわれるが、駑馬でも十日かけて進めばたどり着ける。
 

治人有れども、治法無し。
~国をよく治める人というものはあるが、それだけで国をよく治める法というものはない。
 
法なる者は、治の端なり。君子なる者は、法の原なり。
~法は統治の端緒にすぎず、君子は法の源である。
 

礼なる者は、生死を治むるに謹む者なり。
~礼とは、人の生と死を整えることについて慎み深くさせるものである。
 

君子は始めを敬しみ終わりを慎み、終始一の如し。・・・夫の其の生を厚くして其の死を薄くするは、是れ其の知有るを敬みて、其の知無きを慢るなり。
~君子は人の生の始めと終わりを終始一貫して慎む。・・・生きている間だけ手厚くし、死んだら軽んじるというのでは、人に知覚があれば敬うが、知覚がなければ侮るということになる。
 

礼は人心に順うを以て本と為す。故に礼経に亡きも、而して人心に順う者は、皆礼なり。
~礼は人の心に従うのが根本である。だから、たとえ経典に載っていなくとも、人の心に寄り添うものは、みな礼である。
 

雩(う)して雨ふるは、何ぞや。曰く、何も無し。なお雩せずして雨ふるが如きなり。
~雨乞いをして雨が降るのはなぜか。何にもない。雨乞いをしなくても雨は降る。

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